








PINE TREE HOTEL
PINE TREE HOTELは、広島市中区本川町にある全5室のホテルです。平和公園や広島城、本通商店街、ひろしま美術館まで徒歩圏内という立地にあり、全室にWiFi・キッチン・テレビ・家具家電が備わっています。
JR広島駅からは路面電車で約18分、「本川町」電停下車後は徒歩約1分でアクセスできます。
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池田勇人銅像


広島城にある、池田勇人の銅像です。広島出身の政治家として、「所得倍増計画」で知られる元内閣総理大臣の姿を今に伝えています。


池田勇人遺愛朝鮮灯籠
広島城にある石灯籠です。第58・59代内閣総理大臣を務めた池田勇人が愛でていたと伝わる灯籠です。


広島城跡堀川浄化事業完成記念碑


広島城跡の堀川浄化事業完成を記念した碑です。


歩兵第十一聯隊跡


この石柱は、かつて歩兵第十一聯隊の入口正門として建っていた門柱で、入隊、訓練、出征、帰還といった歴史を長年にわたり見守ってきました。原爆被災の中でも残存し得た当時の姿をそのままに伝える唯一の遺跡でもあります。広島市立福木保育園に保存されていたものを、昭和59年(1984)にゆかりの地であるこの場所へ移設し、歩十一会によって建立されました。


大鳥居
広島護国神社の入口に立つ大鳥居です。参道の始まりを告げる、堂々とした構えです。


広島大本営跡



明治27年(1894)8月に日清戦争が始まると、山陽鉄道の開通や宇品港を擁するといった条件から、同年9月に大本営が広島市に移されることとなり、広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所とされ、ここに大本営が置かれました。明治天皇の広島滞在は同年9月15日から翌年4月27日までの7か月あまりに及びました。建物はその後も広島大本営跡として保存されていましたが、原爆により倒壊し、現在は基礎石のみが残されています。


広島城本丸・二の丸図
広島城にある、本丸・二の丸の配置を描いた絵図です。かつての城の姿を思い浮かべながら、城跡を歩く手がかりになります。


広島城
広島城は、天正17年(1589)に毛利輝元によって築城が始められ、太田川河口のデルタ上に築かれた大規模輪郭式の平城です。別名を鯉城といい、5層5階の大天守と2基の小天守を渡櫓で連結した壮大な天守は昭和6年(1931)に国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)の原子爆弾投下により倒壊しました。現在の天守は昭和33年(1958)に広島復興大博覧会にあわせて鉄筋コンクリート造で再建されたもので、本丸には日清戦争の際に明治天皇が滞在した広島大本営跡なども残されています。


旧天守の礎石
旧天守の礎石は、原子爆弾投下によって倒壊する前の広島城初代大天守の基礎に用いられていた石です。1873年(明治6年)以降に東小天守・南小天守は撤去されましたが、東の小天守台には礎石が残されており、初代大天守の礎石を移設したものも見ることができます。
天守群は1931年(昭和6年)に国宝(旧国宝)に指定されていましたが、1945年(昭和20年)のアメリカ軍による原子爆弾投下の影響で倒壊しました。
参考 : 広島城 - Wikipedia

お城の茶屋 さくら
広島護国神社のほど近くにある小さな休憩処です。お城めぐりや参拝の合間に、ほっとひと息つける憩いの場所です。


広島護国神社
茅の輪くぐりは、『備後国風土記』に登場する武塔神が、素戔嗚尊の教えによって茅の輪をくぐり厄災から逃れられたという伝説に基づく神事です。基本の作法は、まず基本位置で軽く一礼した後、左足から輪をまたいで左回りにくぐり元の位置に戻って一礼し、次に右足から右回りにくぐって一礼、さらに左足から左回りにくぐって最初の位置に戻ります。最後にもう一度軽く一礼して輪をまたぎ、神前に進んで参拝します。


鳥居
広島護国神社は、明治元年12月、明治維新の戊辰の役において陣没した高間省三命以下七十八柱を、二葉の里に新しく造営された「水草霊社」に奉祀したのが創建です。
平成の大型改修事業では、本殿拝殿をはじめ儀式殿や石鳥居・石畳に至る諸工事が行われ、現在の姿になっています。
参考 : 由緒 | 広島護国神社

神馬
広島護国神社にある神馬です。神馬は神様の乗り物とされ、多くの神社で見られる存在です。


中支派遣開望部隊生存者一同建立注連柱
広島護国神社の境内にある、石柱です。「中支派遣開望部隊」の生存者たちによって建立されました。


広島原爆遺跡
広島原爆遺跡は、かつて広島城内に置かれた中国軍管区司令部の跡地です。明治6年に設置された広島第五鎮台に始まり、第五師団司令部、広島師管区司令部などと名称や組織を変えながら幾多の戦役に軍を送り出してきましたが、昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分の原爆により壊滅しました。爆心地から約700メートルのこの場所には半地下式の防空作戦室が設けられ、学徒動員された比治山高等女学校の女学生たちが軍人らとともに働いており、かろうじて残った軍事専用電話を使って広島壊滅の様子を伝えたことが原爆被災の第一報になったと伝えられています。この地には比治山女子中学高等学校などによって結成された「広島師友会」が慰霊碑を建て、毎年8月6日には原爆死没者の慰霊と平和を願う追悼式が行われています。


御社殿 竣功記念碑
広島護国神社にある、御社殿の竣功を記念した碑です。


手水舎
広島護国神社の手水舎です。参拝前に手と口を清め、心身を整えるための場所です。


「英霊にささぐ」吉田正浪
「英霊にささぐ」は、広島護国神社の境内にある像です。彫刻家・吉田正浪によるもので、その名の通り、国のために命を捧げた人々への祈りが込められています。


昇鯉の像
広島城は別名「鯉城」とも呼ばれています。この昇鯉(しょうり)の像は、鯉が滝を登る姿を表したもので、その名にちなんで城内に据えられました。


双鯉の像
広島護国神社にある、二匹の鯉をかたどった像です。鯉が上へ上へと昇っていくような姿で表現されています。


天皇陛下・皇后陛下御親拜記念碑
広島護国神社にある、天皇陛下・皇后陛下の御親拝を記念した碑です。


社務所
広島護国神社の社務所は、1958年1月14日に造営工事が完了し、1989年12月23日には参集殿とともに増改築工事が竣工しました。
現在の受付時間は午前9時から午後4時30分までで、御朱印やお札・お守りの授与、各種ご祈願の受付、神前結婚式の相談などを行っています。
参考 : 広島護国神社 - Wikipedia参考 : 廣島護國神社

中御門跡
中御門跡は、かつて存在した城門の遺構です。1945年の原子爆弾投下により中御門は焼失し、門とともに櫓台の石も被爆して赤く変色し、ひび割れが残っています。


馬屋跡
馬屋跡は、広島城二の丸の東側にあった馬小屋の跡地です。二の丸内には門や櫓のほかに御殿などの重要な施設はなく、東側に番所・馬小屋・井戸などがあるのみで、西半分は空き地となっており、戦時に出陣する兵の集合場所であったと考えられています。
参考 : 探検!史跡広島城 | 広島城

二の丸 多聞櫓
二の丸多聞櫓は、広島城の二の丸に建つ平櫓・多聞櫓・太鼓櫓からなる建物群で、創建は天正期末(16世紀末)頃と推定され、馬出しの機能を持つ二の丸を防衛する役割を担っていました。この二の丸は、外側からは内部が見えにくく内側からは見渡せる構造で防衛機能を考慮した、全国の近世城郭でも特異な配置とされています。江戸時代を通して残っていた建物の多くは昭和20年(1945年)8月6日の原爆被爆によって倒壊・炎上しましたが、平成元年の広島城築城四百年を記念して発掘調査や古写真などをもとに復元が進められ、平成6年(1994年)8月に完成しました。


太鼓櫓
広島城二の丸に復元された太鼓櫓です。太鼓で時を知らせ城門の開閉の合図としていました。
平成元年から6年(1989~94)にかけて復元され、1階部分が公開されています。
参考 : 史跡広島城跡、見所のご紹介 | 広島城

平櫓


平櫓は、広島城二の丸の西南に位置する木造一重隅櫓で、毛利輝元による築城期(天正年間)の創建と考えられていますが、現在の平櫓台は福島氏時代に再建されたものとみられています。文化9年(1812年)の落雷により屋根や壁を破損し、明治5年(1872年)頃に撤去されましたが、昭和20年(1945年)の原爆投下を経て、平成6年(1994年)に「安芸国広島城所絵図」をもとに江戸時代の姿で木造復元されました。外壁は黒く塗った板を張る下見板張で、姫路城のような総塗籠と比べて武骨ながら耐久性に優れ、屋根の懸魚は姫路城天守に倣った梅鉢懸魚で、六葉は黒漆仕上げとなっています。


表御門
表御門は、桁行7.64m、梁間4.85mの木造脇戸付櫓門で、入母屋造・本瓦葺の構造を持つ、広島城跡二の丸の正門です。天正期末(16世紀末)頃の建造と推定され、昭和20年の原爆による焼失までの約350年間存続していました。現在の建物は、広島城築城四百年を記念して平成元年に復元に着手し平成3年に完成したもので、昭和9年に陸軍第五師団経理部が作成した実測図や発掘調査の成果、明治期から昭和期の写真を総合的に検討し、焼失を免れた礎石の上に往時の工法で築き直されています。


ひろしまIPPIN 広島城三の丸店
ひろしまIPPIN 広島城三の丸店は、広島県が誇る豊かな食文化や伝統的工芸品を発信し、地域の魅力を体感できる場として誕生したセレクトショップです。レモンや牡蠣を使った加工食品や菓子、ご当地飲料、地酒、クラフトビールなどの食品をはじめ、広島の工芸品や日用品など約600点の商品を取り揃えています。広島城の歴史的背景を活かしながら、新たな城下町の魅力を体験できる空間として、広島の伝統と文化を身近に感じていただけるよう発信しています。
参考 : 広島の“逸品”が集結!おりづるタワーが手掛ける3号店『ひろしまIPPIN』が広島城三の丸にオープン | おりづるタワー株式会社のプレスリリース

胡子神社
胡子神社は蛭子命を祭神とし、鎮座423年を数える神社です。境内には、毛利元就公の十二代前の祖先にあたる大江広元公から続く毛利氏の系譜が伝えられています。