








福津市行政・観光ステーション



福津駅の中にある観光案内所です。行き先の確認をしたり、新しい観光スポットを知ったりするのに役立ちます。


(旧)JR福間駅 跨線橋門柱
明治23年(1890年)9月28日、九州鉄道会社による博多〜赤間間の鉄道が開通し、この地に初めて汽車が走りました。明治44年(1911年)には跨線橋が新設され、その門柱に「明治四十四年鐵道院」の文字が刻まれました。
この跨線橋は、鉄道院から鉄道省、国鉄、JR九州へと続く時代の移り変わりを見守ってきましたが、平成22年(2010年)の新福間駅整備工事の完了にともない、100年の役目を終えました。現在、2対の門柱のうち1対は門司港の九州鉄道記念館に保存され、もう1対が旧駅舎のシンボルとしてここに展示されています。


宮地嶽神社



神功皇后を主祭神としてお祀りする神社です。神功皇后は第14代仲哀天皇のお后で、応神天皇の母君にあたります。
古事記や日本書紀によれば、神功皇后は朝鮮へ渡る際にこの地に滞在し、宮地嶽の山頂から大海原を望んで天神地祇を祭壇に祀り、開運を願って船出したと伝えられています。後にその功績を讃えて主祭神として祀り、随従した阿曇族の長をあわせて「宮地嶽三柱大神」としてお祀りしました。
参考 : 御祭神・御由緒 | 宮地嶽神社

宮地嶽神社前駐車場


神社まで歩いていける距離にあります。多くの車をとめることができ、トイレも備えられています。


二の鳥居
二の鳥居をくぐると、お土産屋さんが立ち並びます。名物の松ヶ枝餅が味わえるので、ぜひ立ち寄ってみてください。


小松屋




二の鳥居をくぐってすぐのところにあります。名物の松ヶ枝餅もあり、やわらかくてもちもちとした食感が楽しめます。


三の鳥居


神社へと続く階段の入り口に立つ鳥居です。間近で見上げると迫力があります。


六百俵の碑


六百俵の碑は、宮司村の人々の努力を讃える記念碑です。
徳川時代の半ばごろまで、宮司村は砂混じりの痩せた農地が多く、水不足にも悩まされて、農家は苦しい暮らしを強いられていました。それでも村民は助け合い、農業やわら細工に励むかたわら、11歳以上の村民総出で溜池(林口池)を造って水不足の解消に努め、年貢米もいつも一番に納めていたといいます。天明5年(1785年)の大飢饉の際にも、宮司村だけは年貢米の返上を願い出ず、完納しました。
これらの行いから、藩主は宮司村を他村の模範として表彰し、寛政2年(1790年)に褒美として米六百俵を贈りました。村民はこの栄誉を後世に伝え、村の繁栄を願って、褒美の一部で村内の新生児に産着を贈ることとし、その習わしは現在も続いています。こうした先人の偉業を讃え、大正8年(1919年)に記念碑が建てられました。


五の鳥居
五の鳥居は、神社へ向かう階段の途中に立つ鳥居です。まわりには菖蒲が咲き、美しい彩りを楽しみながらくぐることができます。


光の道の石碑


光の道の石碑は、階段を上り終えた場所に立っています。ここから見下ろすと、まっすぐ伸びる参道が一直線に続いていて、開放感のある眺めが広がります。


六の鳥居
六の鳥居は、本殿へと続く参道の中ほどに立つ鳥居です。


太鼓堂
大きな太鼓が保管されているお堂です。


鈴堂


大きな鈴が保管されているお堂です。


七の鳥居
本殿へと続く大きな鳥居です。近くには馬の銅像も立っています。


古札納め所
古いお札やお守りを納める場所です。賽銭箱も設けられています。


茶処・木かげ
参拝の合間に立ち寄れる休憩処です。近くにはトイレもあり、水分補給やちょっとした小休憩にぴったりの場所です。


車祓所
本殿へと続く門の手前にあります。車のお祓いを受けるための場所です。


手水舎(花手水)


手水舎(花手水)は、上から水がスクリーンのように流れ落ちる造りになっています。花も添えられていて、見た目にも美しく、心が和む場所です。


うぶすな石


「うぶすな石」は、安産祈願に使われる石です。無事な出産と子の健やかな成長を願って持ち帰り、出産を終えたら神社にお返しします。返された石は次に安産を願う人へと受け継がれ、何代にもわたり多くの母親の願いを叶えてきた縁起のよい石です。
参考 : うぶすな石 | 宮地嶽神社

宗像神社
本殿へと続く門に入る前、左手にあります。近くには駐車場もありました。


楼門


本殿へと続く大きな門です。堂々としたたたずまいで、見上げると迫力があります。


フクロウ
本殿近くの授与所のそばには、フクロウが2匹いました。目が大きくて、とても愛らしい姿です。


本殿


宮地嶽神社の本殿には、日本一とされる大注連縄が掛けられています。直径2.6メートル、長さ11メートル、重さ3トンにも及ぶ巨大なもので、神社のシンボルとなっています。
この注連縄は毎年掛け替えられ、約2反の御神田で昔ながらの稲を育て、丹精込めたワラでなわれます。稲の発芽から掛け替えまですべて神社に縁の深い人々の奉納によるもので、延べ1,500人もの奉仕によって支えられています。
参考 : 三つの日本一 | 宮地嶽神社

御神水


本殿から左奥へ進んだところにありました。常に水が流れ続けています。


六社神社


6つの神社の扁額が並んで祀られている社です。愛宕神社、海積神社、宗像神社、五穀神社、龗神社、菅原神社の六社からなり、それぞれ異なるご利益の神様がまとめて祀られています。


南門
本殿を正面に見て右側から出ると、自然広苑へと進むことができます。


開運殿


開運殿は、南門を出て自然広苑へ進む途中にあります。立派なたたずまいの建物です。


宮地嶽神社 自然広苑



昔ながらの建物が再建されている場所です。花がたくさん咲いて自然にあふれ、動物もいて心が癒されます。


社司川島澄之助翁の像


川島澄之助は嘉永元年(1848年)に久留米藩士の五男として生まれました。明治維新の際には国事に奔走し、その後は郡長などを歴任して教育や産業の振興に努め、従五位・勲五等に叙せられた人物です。大正元年(1912年)に宮地嶽神社の社司に就任すると、社務を刷新し、大正6年(1917年)に社殿造営を発議しました。各地から浄財を募り、丘陵を削り谷を埋めて神域を広げ、台湾から取り寄せた材木で社殿を建てています。7年をかけて完成した社殿では、昭和5年(1930年)に遷宮鎮座祭が盛大に行われました。この像は、川島が81歳を迎えた昭和8年(1933年)に有志によって建立されたものです。
参考 : 個別神社信仰の近代における波及:宮地嶽神社の事例

社司浄見秋夫翁の像


浄見秋夫は明治10年(1877年)に英彦山のふもとで、代々英彦山権現の神職を務める家に生まれました。国学を学んだのち、大正2年(1913年)に宮地嶽神社の神官となり、社司・川島澄之助による神社改革を支えました。昭和9年(1934年)に川島の後を継いで社司に就任すると、九州や山口県を中心に各地を巡って宮地嶽信仰の普及に努め、多くの分社や敬神講が広がりました。この像は、社殿の改築遷宮25周年を記念して昭和30年(1955年)に建立されたものです。
参考 : 個別神社信仰の近代における波及:宮地嶽神社の事例

高床式平柱小屋


高床式平柱小屋は、もとは長崎県下県郡椎根(対馬)にあった建物です。他地方の納屋にあたるもので、対馬でもとくに特色ある建物とされます。屋敷内に1〜2棟配されたり、集落全体で主屋から離れた山際や河岸に数棟まとめて建てられたりしていました。
ねずみの被害を防ぐために床下を吹き抜けにし、台風や激しい雨風に耐えられるよう石屋根葺きになっています。この石は、対馬独特の頁岩(泥板岩)を割ってうろこ状に重ねて葺いたもので、今では入手が難しいものです。ここに移築された納屋は19世紀半ばのものと推定され、昭和49年(1974年)8月に移築されました。


江戸菖蒲苑
江戸菖蒲苑は、九州でただひとつの江戸菖蒲の庭園です。大江戸や小町娘、小紫など約100種・5万株もの花が咲きそろい、見頃を迎えると一面が華やかに彩られます。古き良き江戸の人々のにぎわいを思わせるような、風情ある眺めが楽しめます。見頃は5月下旬から6月中旬です。


合掌造り民家



合掌造り民家は、もとは富山県東礪波郡利賀村にあった建物です。日本三大秘境のひとつとされる飛騨地方から富山県礪波地方にかけての庄川上流域に、平家の落人が伝えたといわれる巨大な民家で、屋根の木組みが手を合わせた形に見えることから合掌造りと呼ばれるようになりました。
雪深い山村という自然条件のもと、養蚕業や明治中期まで残っていた大家族制度と結びついて成立した建築です。ここに移築されたものは江戸時代の建物で、荒縄とカズラだけで縛り上げ、いろり火を効果的に用いた造りは、厳しい山村生活の知恵が集まったものといえます。昭和49年(1974年)2月に移築されました。


鉤屋造り民家




鈎屋造り民家は、もとは福岡県小郡市大坂井にあった、約200年前に建てられた建物です。江戸時代に最も多く用いられた様式で、上から見るとL字形(カギ形)をしていることから鈎屋造りと呼ばれます。入口から右へ土間(にわ)・中居(ごぜん)・納戸が横一列に続き、納戸の前方に座敷が張り出しています。天井はすべて竹簀子天井で、とくに納戸の天井に土を塗り込めた大和天井になっている点が珍しいとされます。移築当時、小郡市に残っていた最古の鈎屋造り民家で、昭和54年(1979年)に移築されました。


二棟造り民家
二棟造り民家は、もとは熊本県菊池郡泗水町にあった建物です。本屋と釜屋がほぼ同じ大きさで、棟が平行に並ぶ非常に珍しい造りで、正式には平行二棟式と呼ばれます。かつては熊本県に多く存在しました。
この建物は約200年前に寺の庫裡として建てられたもので、規模が大きく建造年代も早いなど、古い形式をよく伝える貴重な遺構です。平行二棟の形式は、神社建築において謎に包まれた八幡造りの源流ともいわれます。寛永10年(1633年)の肥後藩人畜改帳から、かつて菊池地方に点在していたことがわかりますが、現在ではわずかしか残っておらず、大変貴重な建物です。昭和52年(1977年)4月に移築されました。


宮ZOO




エミューやヤギ、馬などがいました。どの動物も愛らしく、心が和みます。


奥之宮
奥之宮は、宮地嶽神社の本殿のさらに奥に広がる一帯です。参道を進んでいくと、七福神社や不動神社、薬師神社など、ご利益の異なる社が点々と並んでいます。それぞれにお参りしながら奥へと歩いていく、趣のある場所です。


一番社 七福神社



福徳を授けてくれるとされる七福神が祀られています。


七福大黒堂


七福大黒堂は、七福神社の隣にあります。福を呼ぶ大黒様が祀られていて、七福神社とあわせてお参りすると、より福徳に恵まれそうな気がしてくる場所です。


二番社 稲荷神社



稲の豊かな実りを守る神様で、そこから転じて商売繁昌の神様としても信仰されています。


八番社 薬師神社


医術や薬の力で、病に苦しむ人を救ってくれる神様です。


七番社 水神社


龍神様をお祀りする水神社です。隣には、水が湧き出る龍の玉があります。


五番社 恋の宮(淡島神社 濡髪大明神)
女性特有の病気に御利益があるとされる淡島神社と、縁結びの神様である濡髪大明神を祀っています。


六番社 三宝荒神


火除けや竈の神様が祀られており、その名のとおり荒々しい火を司る神様です。


三番社 不動神社



火除けや竈の神様が祀られており、その名のとおり荒々しい火を司る神様です。


四番社 万地蔵尊


にこやかな表情のお地蔵様で、とくに旅人や子供たちを見守ってくれるといわれています。


須賀神社


本殿を出た隣にある小さな社です。小ぶりながらも賽銭箱などが設けられています。


参道
海に向かってまっすぐ一本に伸びています。とても長く、階段の上から見下ろすと、その先までずっと見渡すことができます。


宮地館


神社へ上る階段のすぐ手前にあります。名物の松ヶ枝餅をはじめ、さまざまな種類の品がそろっていて、お土産選びや食べ歩きにぴったりの場所です。


一の鳥居


海水浴場のすぐ前に立つ大きな鳥居です。神社からまっすぐ一本に伸びる参道の起点にあたります。


宮地浜海水浴場


宮地浜海水浴場は、遠浅で水質がよく、サーフショップなどもあって若者に人気の海水浴場です。宮地嶽神社の参道を海に向かってまっすぐ進んだ先にあり、海に沈む夕日の美しさでも知られています。
参考 : 宮地浜海水浴場 | 観光スポット | 【公式】福岡県の観光/旅行情報サイト「クロスロードふくおか」

宮地浜夕陽風景時計
宮地浜「夕陽風景時計」は、夕陽が沈む方位や時刻、水平線に浮かぶ島々が描かれ、パノラマ風景がわかる時計です。玄界灘に沈む夕陽の美しさを多くの人に楽しんでもらいたいと、福津市津屋崎の町興しボランティア団体「津屋崎千軒 海とまちなみ会」が、市制施行10周年の記念事業として宮地浜に設置しました。