








広島駅
広島駅は、中国・四国地方最大の都市で、広島県の県庁所在地及び政令指定都市である広島市の玄関駅です。乗車人員数は中国・四国地方で第1位、JR西日本管内では大阪環状線の鶴橋駅に次いで第7位となっています。
参考 : 広島駅 - Wikipedia

山豊 福屋広島駅前店
広島駅前・福屋の地下にあるお土産店です。旅の締めくくりに立ち寄って、広島みやげをじっくり選べる一軒です。


電停 広島駅
広島駅電停は、広島電鉄の路面電車が日本で初めてJR広島駅の新駅ビル2階に乗り入れる電停です。駅前大橋ルートの新設により、広島駅から八丁堀・紙屋町方面への移動時間が約4分短縮されました。乗り場もこれまでの2ヵ所から4ヵ所に増設されています。
参考 : 広島駅「駅前大橋ルート」・「循環線」|広島電鉄(公式)

「朝」圓鍔勝三
JR広島駅の新幹線口にある黄金のブロンズ像「朝」は、平和記念公園内にも数々の作品を残した彫刻家・円鍔勝三氏(1905~2003年、文化勲章受章、尾道市御調町出身)による作品です。広島に山陽新幹線が開通したことを記念して1979年に設置されました。円鍔氏は広島の躍進や希望をイメージし、ラッパを吹く少年と踊る女性を組み合わせており、物語のワンシーンのような世界観が円鍔作品の大きな特徴です。
2017年には金箔を貼り直すなどの修復を経て、元の設置場所から15メートルほど西にある現在の位置に移されました。
参考 : @ひろしまサミットまで 45日 広島駅のブロンズ像 | 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

エキキタテラス
広島駅の北側にある、広場のような空間です。


相生橋
相生橋は、1932年(昭和7年)に架け替えられ、1934年(昭和9年)には橋の中央部分から中島北端(現在の平和記念公園北端)へ橋げたが伸ばされ、全国でも珍しいT字型になりました。市街地の中心に位置していたことから、原爆投下の目標にされたといわれています。
被爆後まもなく復旧がはじめられ、9月7日には路面電車が通りました。都心の往来を支えたこの橋は、1983年(昭和58年)に新しく架け替えられました。
参考 : 相生橋 - スポット | 広島ピースツーリズム

相生橋址碑
相生橋址碑は、もともとここにあった相生橋の親柱を残し、記念碑を建てて昔をしのぶよすがとしたものです。広島市中区大手町の原爆ドーム前、相生橋東詰に位置しています。
参考 : 旧相生橋碑 | 【公式】広島の観光・旅行情報サイト Dive! Hiroshima

平和記念公園
平和記念公園の周辺は「北の都リバーウォーク」と呼ばれる散策路が整備されており、原爆ドームをはじめ、常夜燈、元安川オープンカフェ、基町環境護岸といった見どころを巡ることができます。常夜燈の下部の護岸には昔の石積みが残っており、かつてはそこから下流側が海であったことを伝えています。基町環境護岸は、やすらぎを与える護岸として整備され、平成15年度の土木学会デザイン賞を受賞しています。


原爆ドーム


原爆ドームは、広島県広島市中区にある被爆建造物です。所在地は広島市中区大手町一丁目10で、原子爆弾投下の目標となった相生橋の東詰にあたり、西から南にかけて流れる元安川の対岸とともに、平和記念公園の一部を構成しています。
もともと広島県物産陳列館として開館し、戦時中に広島県産業奨励館と改称されました。1996年にはユネスコの世界遺産に登録され、負の世界遺産の一つとされています。
参考 : 原爆ドーム - Wikipedia

原爆ドーム 世界遺産説明板
1945年8月6日午前8時15分、米軍のB29爆撃機が投下した原子爆弾は、広島県産業奨励館の南東約160メートル、上空約600メートルで炸裂し、建物は大破・全焼して館内にいた全員が即死しました。爆風がほぼ垂直に働いたため建物の一部の壁と最上部の鉄骨が倒壊を免れ、その円蓋状の残骸はいつしか市民から「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました。当初は記念物として残すか危険建造物として取り壊すかで意見が分かれていましたが、保存を求める声が高まり、1966年に広島市議会が保存を決議し、募金によって1967年に第1回保存工事が行われました。その後も保存工事が重ねられ、1996年12月には核兵器の惨禍を伝える歴史の証人として世界遺産に登録され、周辺は国の史跡やバッファーゾーンとして保護されています。


動員学徒慰霊塔
動員学徒慰霊塔は、広島市の平和記念公園にある慰霊塔です。
第2次世界大戦中、増産協力などのいわゆる勤労奉仕に動員された学徒は全国にわたり三百数十万人にのぼり、そのうち戦禍にたおれた者は一万有余人、うち六千余人が原爆死を遂げました。塔は有志同胞の手によって、被爆学徒の霊を慰めるために建立されました。
参考 : 原爆関係の慰霊碑等の概要|広島市公式ウェブサイト

広島市道路元標
広島市道路元標は、陸上交通の主要街道が交差し太田川の水運の利もあった広島城下の中心地、元安橋東詰にありました。明治の県制施行にともない木柱の広島県里程元標が建てられ、明治22年(1889)の市制施行後には現在の石柱の広島市道路元標に改められました。
原爆被災後は約30メートル西の元安橋東詰に移転し、現在に至ります。
参考 : ocr-generated 広島市道路元標参考 : 大手町(広島市) - Wikipedia

元安橋


元安橋は、広島県広島市の元安川にかかる道路橋です。元安川の名はこの橋の名称にちなんで付けられたと伝えられています。
安土桃山時代に毛利輝元が広島城下を整備した際に架橋され、当時は「元康橋」と名づけられたと伝えられており、1920年(大正9年)には同位置に鋼ゲルバー鈑桁橋として架け替えられました。
原爆投下時には爆心地からもっとも近い橋となりましたが、爆風に耐えて落橋を免れました。
参考 : 元安橋 - Wikipedia

原爆の子の像


原爆の子の像は、広島市平和をきずく児童・生徒の会が建立し、東京芸術大学教授・菊池一雄氏が制作したもので、2歳のときに被爆した佐々木禎子さんが10年後に白血病で亡くなったことをきっかけに、原爆で亡くなったすべての子どもたちのために建てようという呼びかけが広がり、全国及び世界各国からの募金により1958年に建てられました。台座には「これはぼくらの叫びです」「これは私たちの祈りです」「世界に平和をきずくための」という言葉が刻まれています。内部につるされた千羽鶴は、ノーベル平和賞受賞者らによる寄贈品などで、2003年に復旧されたものです。


平和の鐘


平和の鐘は、広島市への原子爆弾投下後、反核と恒久平和を願って建設された平和記念公園内に設置されている鐘です。園内には、毎年8月6日の広島平和記念式典で鳴らされる鐘、訪問客用に常設されている鐘、毎朝8時15分に鳴るチャイムの3つの鐘があります。
現在使われている平和の鐘は1967年(昭和42年)建立の5代目にあたり、鐘の重さは90キログラムです。
参考 : 平和の鐘 (広島市) - Wikipedia

平和の時計塔
平和の時計塔は、広島鯉城ライオンズクラブが原爆ドームの永久保存に呼応して建設した記念塔です。3本の鉄柱がそれぞれ60度ずつひとひねりした塔上に、球体の三方を向いた時計が乗っており、高さは約20メートルです。
人類が初の原爆の洗礼を受けた時刻である8時15分に、毎日全世界に向けてこの時計塔のチャイムが「ノーモアヒロシマ」を訴えています。
参考 : 平和の時計塔 | 【公式】広島の観光・旅行情報サイト Dive! Hiroshima