








真田山 三光神社
































大阪市天王寺区にある神社で、反正天皇の御代の創建と伝えられる古社です。かつては「姫山神社」と称し、明治41年に三光宮と合祀して現在の社名になりました。主祭神は天照大神・月読尊・素盞嗚尊。社殿は大阪大空襲で焼失し、戦後に復興されました。境内は大坂の陣で真田信繁(幸村)が築いた出城「真田丸」の一角にあたるとされ、「真田の抜け穴」や幸村の銅像があることから、真田幸村ゆかりの地として知られています。


鳥居



神社の入口に立つ、神域と俗界を隔てる門です。三光神社の表参道口に建ち、この鳥居をくぐって石段を上ると社殿へと至ります。


東鳥居


神社境内の東側に設けられた鳥居です。表参道の鳥居とは別に、境内への出入口として設けられています。


拝殿前鳥居
拝殿の手前に立つ鳥居です。第二次世界大戦の空襲で片方の柱が焼け残ったものが、再建された鳥居と並んで今も残されています。


拝殿




神社の参拝者が拝礼を行うための社殿です。三光神社の拝殿も先の大阪大空襲で焼失しましたが、戦後に再建されました。


手水舎


参拝前に手や口を清めるための施設です。神道では、神前に進む前に心身の穢れを水で祓い清めるという考え方があり、多くの神社に設けられています。


参集所


祭礼や行事の際に、参拝者や氏子が集まるための社殿です。


三光神社由緒略記
三光神社の由緒を伝える石碑です。大鳥居が先の大戦の戦火で失われたことなどが刻まれており、昭和47年(1972)に三光神社奉賛会によって整備されました。


寿老神像



七福神の一柱である寿老神(寿老人)の像です。長寿を司る神とされ、大阪七福神めぐりの一社として三光神社が数えられていることに由来します。


仁徳天皇社


仁徳天皇を祀る境内社です。仁徳天皇は第16代天皇で、民のかまどの逸話で知られ、仁政を行った天皇として伝えられています。


主守稲荷社・武内宿弥社・野見宿弥社


三光神社の境内に並ぶ3つの境内社です。三光神社は創建以来、武内宿禰の末裔とされる武川氏が代々神職を務めてきたと伝えられ、武内宿禰を祀る武内宿弥社もその由縁によるものです。あわせて、五穀豊穣を司る稲荷神を祀る主守稲荷社、相撲の始祖とされる野見宿禰を祀る野見宿弥社が並んでいます。


真田の抜穴跡




大坂冬の陣(1614)で真田信繁(幸村)が築いた出城「真田丸」から大坂城まで続いていたと伝わる伝説の地下道跡です。信繁が掘ったとも、攻め手の徳川方が掘ったともいわれ、詳しいことは分かっていません。現在は石組みの入口部分が残されています。


真田幸村公之像




真田山三光神社の境内に建つ、真田信繁(幸村)の銅像です。隣には「真田の抜け穴」があり、大坂の陣で徳川方を苦しめた智将・幸村ゆかりの地であることを今に伝えています。


大應寺




木村蒹葭堂ゆかりの寺として知られます。木村蒹葭堂は元文元年(1736)、大坂北堀江に生まれた文人・博物学者で、漢詩・書画・本草学など多方面に通じ、柳沢淇園や池大雅、頼山陽ら多くの文人墨客が集うサロンを主宰しました。その交流の様子は「蒹葭堂日記」に記されています。境内には木村蒹葭堂の墓があり、「なにわの知の巨人」と称される人物の足跡を今に伝えています。


興徳寺














高野山真言宗の寺院で、山号は隆法山、本尊は薬師瑠璃光如来です。聖徳太子の時代に法円坂付近で「薬師院」として創建されたと伝わり、奈良時代の天平年間に行基によって再興された行基四十九院の一つに数えられます。大正4年(1915)の火災、昭和20年(1945)の大阪大空襲と二度にわたり本堂を焼失しましたが、山門は焼け残り、本堂は昭和27年(1952)に再建されました。


山門





興徳寺の山門です。大正4年(1915)の火災や昭和20年(1945)の大阪大空襲による焼失を免れ、境内で最も古い建物として今に伝わっています。


地蔵堂


興徳寺の地蔵堂です。堂内には融通地蔵尊が安置されています。


准低観音




准胝観音を祀る霊場です。興徳寺は大坂三十三ヶ所観音霊場の一つに数えられており、子授けや安産のご利益があるとされる観音として信仰されています。


常香炉
参拝者が線香を供えるための香炉です。立ち上る煙で身を清めてから本堂にお参りする風習があります。


三宝荒神



興徳寺境内に祀られる三宝荒神です。仏・法・僧の三宝を守護するとされる神で、火の神・かまどの神としても信仰されています。


不動明王
興徳寺境内に安置されている不動明王像です。不動明王は大日如来の化身とされ、怒りの表情で悪を断ち切り、人々を救済する仏として信仰されています。


心眼寺









真田山心眼寺と号する寺院で、真田信繁(幸村)ゆかりの寺として知られます。文禄年間(1593〜96)に白牟上人により創建されたと伝わり、大坂の陣後、元和8年(1622)にこの一帯にあった出城「真田丸」の跡地に、信繁と子の大助の冥福を祈るために再建されました。境内には信繁の墓や、大坂の陣にまつわる史跡が残されています。


石碑『真田幸村出丸城跡』
慶長19年(1614)の大坂冬の陣に際し、真田信繁(幸村)が大坂城の惣構の南側、空堀の外にあった「笹山」という小丘陵に築いた出城「真田丸」の跡を示す石碑です。三日月形をした形から偃月城とも呼ばれ、東西2つの曲輪からなる約200mの規模で、わずか3千人余りの兵で徳川方の攻撃を撃退し、冬の陣における豊臣方最大の戦果を挙げました。講和条件によって破却されています。


真田左衛門佐豊臣信繁(真田幸村)之墓



真田信繁(幸村)の墓です。信繁は武田信玄配下の武将であった真田昌幸の次男で、関ヶ原の戦いでは西軍に属して敗れ、紀州九度山で14年間の蟄居生活を送りました。慶長19年(1614)の大坂の陣で豊臣方に参加し、大坂冬の陣では出丸「真田丸」を築いて徳川方を撃退、翌年の夏の陣では茶臼山に本陣を置いて戦い、安居神社付近で討死したと伝えられます。当寺は徳川時代より信繁の菩提を弔っており、平成26年(2014)、四百回忌に際して墓碑が建立されました。


京都見廻組 桂早之助・渡辺吉太郎 墓所


幕臣で京都見廻組に属した桂早之助・渡辺吉太郎・高橋安次郎の墓所です。京都見廻組は新選組と同じく京都の治安維持にあたった組織で、坂本龍馬暗殺事件への関与も指摘されています。桂早之助・渡辺吉太郎は慶応4年(1868)の鳥羽伏見の戦いで戦死しました。


まんなおし地蔵尊


心眼寺の地蔵堂に安置される「まんなおし地蔵尊」です。「間」の巡り合わせが悪いことを良い方向に直してくれるとされ、不運が続く時にお参りするとご利益があると伝えられています。


真田丸顕彰碑



慶長19年(1614)の大坂冬の陣で、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城の弱点であった南側を補うために築いた出丸「真田丸」の跡地に建つ顕彰碑です。現在の大阪明星学園の敷地がその跡地にあたるとされ、信繁はここで前田利常・松平忠直・井伊直孝・藤堂高虎ら徳川方の大軍を相手に大勝利を収めました。平成28年(2016)、上町台地マイルドHOPEゾーン事業の一環として建立されました。


心眼寺坂


心眼寺の門前から続く坂道で、寺の名にちなんで名付けられました。かつては大坂城の惣構の堀があったとされる場所で、坂を上ると心眼寺や真田丸顕彰碑があります。


大阪城公園








大阪の中心に位置する総面積105.6haの広大な都市公園です。13棟の重要文化財を擁し、外観5層・内部8階建の天守閣は歴史博物館として公開されています。梅林や西の丸庭園など四季折々の花々も楽しめる緑あふれる都会のオアシスです。
参考 : 公園概要|特別史跡 大阪城公園

西の丸庭園











大阪城公園内にある庭園です。豊臣秀吉の時代には豪華な御殿が建つ大坂城の要地で、秀吉の没後は正室おね(北政所)、続いて徳川家康の居住地となりました。江戸時代には北半分が倉庫群(西の丸土蔵曲輪)、南半分は大坂城代の屋敷地となり、明治以降は陸軍、戦後は警察学校の用地を経て、現在は芝生と樹木の庭園、桜の名所として親しまれています。


乾櫓













大阪城の西の丸北西に位置する2層2階建ての隅櫓で、大阪城に現存する最古の建造物です。元和6年(1620)、徳川幕府による大坂城再築工事の最初の年に建てられました。大手口から京橋口までの広い範囲を見渡せる立地から「三方正面の櫓」とも呼ばれ、L字形の総2階造りという珍しい構造を持ちます。国の重要文化財に指定されています。


極楽橋



山里丸と二の丸を結ぶ橋で、豊臣秀吉の築城時から存在し徳川幕府の再築時にも架け直されました。明治維新の大火で焼け落ちましたが、昭和40年(1965)に再架橋されました。


大阪城




天正11年(1583)に豊臣秀吉が築いた大坂城は慶長20年(1615)の大坂夏の陣で落城しましたが、その後徳川将軍直轄の拠点として再築され明治維新まで偉容を誇っていたことはあまり知られていません。
昭和34年(1959)の「大坂城総合学術調査」で、現存の大阪城がすべて徳川幕府再築後の遺構であることが判明。さらに本丸の地下7.3mから古い「謎の石垣」が発見され、地上から消された豊臣大坂城の実態解明が最大の謎として浮かび上がっています。


豊臣石垣館






大阪城本丸東側にある展示施設で、地中で発見された豊臣時代の石垣を間近に見ることができます。現在地上に見える大阪城の石垣は徳川時代に再築されたものですが、発掘調査によって、その地下に豊臣秀吉が築いた大坂城当時の石垣が良好な状態で埋没していることが判明し、その一部を保存・公開しています。


ミュージアムショップ







大阪城公園内にあるお土産・グッズ販売店です。御城印や大河ドラマ関連商品のほか、錫器や欄間、蜻蛉玉といった伝統工芸品も取り扱っています。