








いおワールドかごしま水族館










いおワールドかごしま水族館では、イルカのパフォーマンスや生態を紹介する「いるかの時間」、野生のイルカの行動を観察する「青空イルカウォッチング」、飼育員の解説付きで楽しめる「あざらしの時間」、ジンベエザメの食事が見られる「ジンベエザメの食事の時間」など様々なプログラムを開催しています😊 スタッフがガイドする約50分のガイドツアーも1日2回実施されており、水族館をより深く楽しめます✨
参考 : いおワールドかごしま水族館 | ジンベエザメやサツマハオリムシなど錦江湾から南西諸島の生き物800種1万点を展示する鹿児島市の水族館、いおワールド。

薩英戦争砲台跡
新波止砲台は1854年に島津斉彬が石造の波止場を改修して作った砲台で、鶴丸城を守る重要な防衛拠点でした。1863年の薩英戦争では、日本最大級の150ポンド砲を含む11門の大砲が配備され、イギリス艦隊に激しい砲撃を行いました。砲撃の命中精度は高く、旗艦ユーリアラスの艦長ジョン・ジョスリンを戦死させています。しかし砲台自身もイギリス側の集中砲火で大きな損害を受け、最後は砲撃不能となり、砲手と守備兵には退去命令が出されました。


鹿児島市上竜尾西郷南洲顕彰館






西郷南洲顕彰館では、西郷隆盛の波乱に満ちた生涯を、1階と2階に分かれた展示でわかりやすく学ぶことができます。
1階では、青年期の郷中教育や島津斉彬との出会い、西郷さんの「蘇生」など、彼の原点ともいえる時代が丁寧に紹介されています。2階では、参議としての政治活動、私学校の設立、西南戦争へと続く激動の後半生が、資料やジオラマを通して臨場感たっぷりに展示されています。西郷隆盛という人物が、日本の大きな転換期にどのように関わり、行動したのかを深く学べるよい場所です!


西郷隆盛の肖像画
玄関から入ってすぐロビーの所に、西郷隆盛の肖像画が展示されていました。
西郷隆盛とは会ったことがなく、写真も存在しなかったため、制作は周囲の証言に基づく想像で描かれたそうです。
参考 : Wikipedia エドアルド・キヨッソーネ郷中教育は、江戸時代の薩摩藩(現在の鹿児島県)で行われていた武士の子どもたちの自主的な教育制度です。
二才頭 → 二才組 → 種子頭 → 長稚子 → 小稚子の役割があり、坊限とよぶ地域の武士集団を郷中といい、二才頭の統率の下で先輩が後輩を指導して、青少年が自主的に心身を練成したそうです。
菊池源吾と変名し、奄美大島龍郷村に安政6年から文久2年まで3年間潜居したそうです。
文久2年(1862)2月、召還され直ちに国事に奔走しましたが、島津久光公の怒りにふれ、徳之島、のち沖永良部島に流罪となりました。
NHK大河ドラマ『西郷どん』では、この沖永良部島で西郷が地元の医師・川口雪篷と出会い、命を救われる場面が描かれています。過酷な幽閉生活の中、雪篷は食事や薬を差し入れ、心の支えともなる存在でした。
藩主忠義公の要請により、鹿児島藩参政となり藩政の改革をしました。
その後、新政府の参議に就き、明治6年10月辞職するまでの間、廃藩置県、宮中の改革、学制実施、国立銀行設立、国民皆兵の徴兵令施行、鉄道開通、太陽暦採用などを断行して維新政府の基礎を確立しました。明治天皇西国巡幸に供奉、陸軍元帥、近衛都督。明治6年、日本最初の陸軍大将で参議を兼務したそうです。
新政府との修交を拒否し、居留民を圧迫する朝鮮国に対し、征韓論が起こりましたが、西郷は武力行使を避け、自ら全権大使として話し合いによる解決を主張しました。いったんは閣議決定されたものの、岩倉具視や大久保利通らの強い反対により、この案は最終的に否決されたそうです。
このあたりから、かつての盟友であり幼馴染でもあった西郷と大久保の間に、次第に深い意見の対立が生まれていったのではないかと思いました。


私学校
西郷に従い官を辞して帰郷した者たちを中心に、銃隊、砲隊、幼年学校、そして各地の私学校が創設されました。その運営には、篠原国幹と村田新八があたりました。
西郷は、いち早く教育の重要性に気づき、未来を担う人材の育成に力を注ぎました。その姿勢には、時代を先取りする深い見識と、人を育てることへの強い信念が感じられます。


西南戦争


政府が鹿児島にある武器弾薬を県外に移送しはじめたことや、政府派遣の密偵による西郷暗殺計画が発覚したことにより、私学校の門下生たちが激怒して暴発し、西南戦争へと発展しました。薩軍は出発時1万3千人に加え、宮崎・熊本・大分・福岡などからの協力隊7千人、補充徴募兵1万人、合計およそ3万人が参加し、約6,800人が命を落としたといわれています。
西郷隆盛は、武力を好んだわけではなく、むしろ不正や圧政に抗い、「日本から争いをなくす」という信念を胸に立ち上がったのだと思います。その姿には、ただの武人ではない、強い「男気」と深く人を思いやる「情」が感じられます。