








共月亭
この共月亭は、長沙市の岳麓山に建つ「愛晩亭」の複製で、瑠璃瓦や柱・椅子・床石などの花崗岩、漆塗の由来板いずれも長沙市から寄贈されたものです。


長沙市とは
長沙市は中国・湖南省の省都です。古い歴史を持ち、近代中国を支えた多くの革命家を生んだ都市として知られています。現在は湖南省の政治・経済・文化・通信の中心地として発展を続けています。1982年(昭和57年)10月30日、鹿児島市と友好都市の締結を行いました。


友好都市締結の経緯
鹿児島は中国大陸に地理的に近く、鑑真和上や遣唐使船など歴史的なつながりも深い土地です。そうした背景から中国との交流を求める気運が高まり、1981年11月に各界の代表が中国各都市を訪問し、友好関係を深めました。翌1982年3月、長沙市から友好都市締結の申し入れがあり、交流が進む中、熊清泉市長を団長とする代表団が鹿児島を訪れ、正式な調印式が行われました。


締結後の主な交流
友好都市締結を記念して、長沙市に「友好和平」の像が、鹿児島市に「共月亭」が建設されました。その後も友好訪問団の相互訪問、市電長沙号の運行、高校生の相互派遣、医学・行政・教育・国際交流などの研修生受け入れ、日本語図書の贈呈(鹿児島文庫の設置)、動物交換、伝統芸能の公演など、幅広い交流が続いています。


共月亭について
「共月」という名前は、中国・宋時代の文学者・蘇軾の詩「水調歌頭」に由来しています。1700kmを隔てた鹿児島と長沙の両市民が、同じ月を眺めながら友好の気持ちを分かち合えるようにという願いを込めて、長沙市人民政府が命名しました。


中国人養父母感謝之碑



日中友好条約締結五周年に当たり、永い日中友好の継続を念願して建立されました。孤児たちを育てた中国人養父母の慈愛と精神に対し、深甚なる感謝を表するものです。


天保山砲台跡


島津家27代当主斉興が緊張感高まる対外情勢に備えて着手、1850年(嘉永3)に竣工しました。さらに、後を継いだ斉彬も藩の沿岸各所に砲台を築造、大砲を集成館で作らせ、海防にあてたのです。天保山で行われた城下士全体の連合調練を、斉彬自らが閲兵するほど、熱心に取り組んだと伝えられています。
1863年(文久3年)7月2日正午、天保山砲台什長・鎌田市兵衛の「撃てエー」の号令とともに号砲が轟きました。錦江湾に居座るイギリス艦隊へ、ついに砲撃戦の火蓋が切られた瞬間です。
薩軍は決死の覚悟で戦い、イギリス側にも相当な打撃を与えました。しかし3時間後、城下は壊滅的な被害を受けます。最新式アームストロング砲の圧倒的な破壊力の前に、当時の日本の限界を突きつけられた瞬間でもありました。
この敗北は、薩摩藩に大きな転機をもたらしました。西洋の技術力の高さを肌で感じた薩摩藩はその後、イギリスへの留学生派遣をはじめ、積極的に西洋技術の習得へと舵を切っていきます。現在も天保山と祇園之洲には、当時の砲台跡が残されています。


島津斉彬公御陣屋跡





幕末、島津家第28代当主・島津斉彬は、「西洋に学んで富国強兵の策を講ずべし」と武備開国を主張し、集成館事業で小銃や大砲を製造するとともに軍事訓練も強化しました。この付近一帯は「天保山調練場」と呼ばれ、洋式砲術や騎兵などの訓練が行われ、斉彬自ら将兵の閲兵や訓練の指導にあたっていました。
1858年(安政5年)7月8日、国政改革のため藩兵3,000名を率いて上洛を決意した斉彬は、天保山で合同大演習を行いますが、炎天下で体調を崩し、同月16日にあっけなく他界してしまいます。


関勇助誕生之地碑


関勇助は、学問・武道に優れ、島津斉彬が最も信頼を寄せた人物です。蝦夷地開拓計画の調査立案や、大政返上のための意見書の添削など、斉彬から重要な仕事を任されていました。若者の教育にも熱心で、西郷隆盛や大久保利通など多くの人材を育てた、日本の将来を真剣に考える思慮深い人物でした。


加治屋まちの杜公園



市電「新屋敷」駅から徒歩1分の好アクセスにある加治屋まちの杜公園。広々とした芝生広場では子供たちが元気に遊ぶ姿が見られ、おしゃれなレストランカフェも併設されているので大人もゆっくり過ごせます😊 西郷隆盛・大久保利通など多くの偉人を輩出した加治屋町エリアにあり、歴史散策の休憩スポットとしてもぴったりな公園です✨


上村彦之丞 誕生地


上村彦之丞は、嘉永2年(1849年)にここ鹿児島城下平之町で生まれました。幼少時に家計が苦しかったため、父・藤一とともに加世田へ移り、少年期を過ごしています。
戊辰の役や日清戦争に従軍し、多くの戦功を残した上村は、日露戦争で第二艦隊を率い、韓国・蔚山沖海戦でロシア艦隊を破る大きな戦果を上げました。その際、海中に漂うロシア将兵627名を救助した行いは「日本武士道のかがみ」として世界に広く伝えられ、ロシアの戦史にも特筆されたといわれています。
勇将の多い薩摩の武人の中でも、ずば抜けて勇ましく強い人として知られた一方、部下に優しく接する人柄から、戦国の名将・加藤清正にたとえられた人物です。


向田邦子居住跡地


10歳のとき父の転勤で一家そろって鹿児島へ移り住み、2年余りを過ごしました。「鹿児島はなつかしい『故郷もどき』なのであろう」とエッセイに綴ったほど、深く心に刻まれた土地でした。


COMMON COFFEE COUNTER









レコードから心地よい音楽が流れる、シンプルで広々とした空間。アイスコーヒーは酸味があるけれど後に残らず、すっきりと飲めました!コーヒーの香りも少しフルーティーで香ばしく、豆の販売も行っており、グアテマラの豆を購入しました。気さくな店長さんがコーヒーについて丁寧に教えてくれました。


歴史ロード 維新ふるさとの道




甲突川沿いの維新ふるさとの道は、西郷隆盛・従道誕生地や大久保利通生い立ちの地など薩摩の偉人を輩出した歴史散策スポットです。約440mの遊歩道には維新ふるさと館をはじめ、いろは歌の歌碑・解説板・江戸時代後期の武家屋敷を再現した建物などが点在し、幕末から明治維新の歴史を体感できます。東郷平八郎や村田新八の出身地でもあり、春には桜が咲き誇りライトアップも行われる、歴史と自然が楽しめる鹿児島を代表する散策スポットです🌸
参考 : 歴史ロード“維新ふるさとの道” | 観光スポット | 【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅