








熊本城公園
日本三名城のひとつ・熊本城を中心とした歴史公園です。加藤清正により慶長4年(1599)に築城が始まり、周囲5.3km・総面積約98万平方メートルの広大な城域を誇ります。


お休み処


熊本城公園の入口付近、駐車場の近くに位置するお休み処です。御朱印の販売も行っており、参拝の記念に立ち寄れるスポットです。


西大手櫓門
熊本城西出丸に置かれた3つの大手門のうち、城の玄関として最大規模・最高格式を誇る門です。明治時代に取り壊された後、平成15年(2003)に木造で復元されましたが、平成28年(2016)の熊本地震で石垣が崩落し櫓が傾きました。現在は崩落防止の安全対策が進められています。


元太鼓櫓
西大手櫓門と同時期の平成15年(2003)に木造で復元された櫓です。平成28年(2016)の熊本地震で石垣が崩落し傾きましたが、現在は崩落防止の安全対策が進められています。


神風連 加屋霽堅 齋藤求三郎等 戦死之跡
明治9年(1876)の廃刀令・断髪令を機に、近代化政策に不満を持つ士族集団・神風連(敬神党)が約170名で熊本鎮台を襲撃しました。砲兵営の全焼や死傷者200人の被害を出しましたが、鎮台兵の反撃により一晩で鎮圧されました。


西出丸西空堀


本丸(西出丸)と二の丸を隔てる幅約50mの空堀です。昭和28年(1953)の熊本大水害の際に土砂処分のため埋め立てられて浅くなっていますが、本来はより深い水のない堀でした。


奉行丸
細川氏入国(1632年)後に各行政を行う区画が置かれたことから「奉行丸」と呼ばれるようになりました。御徒行所・御役所など歴代の四奉行所からなり、多くの藩士が公務を行っていた場所です。平成15年までに元奉行丸と付随の堀が復元されました。


横手五郎の首掛石


高さ1.7m・幅1.25m・重量約1800kgの石で、怪力の横手五郎が築城の際に首にかけて運んだという伝説が残っています。実際は本丸御殿の中庭にあった手水鉢の台石で、明治10年(1877)の西南戦争直前の火災で高熱を受けて現在の「凹」字の形になりました。


宇土櫓


熊本城で唯一江戸時代から残る五階櫓で、国の重要文化財に指定されています。最上階には板敷の縁があり、天守と同様の破風を四面に配置した直線的なデザインが特徴です。平成28年の熊本地震で被害を受け現在解体修復中で、令和14年(2032年)度の復旧完了を目指しています。


南大手櫓門
天守へ向かうルート上の重要な位置にある門で、平成14年(2002)に木造で復元されました。平成28年の熊本地震で石垣が崩れ櫓本体も変形し、現在は鉄骨による倒壊防止対策が進められています。


小天守石階段
江戸時代に小天守地階(穴蔵)への出入りに使用されていた石階段です。階段を下ると東(東竹の丸)と西(平左衛門丸)の二手に分かれる構造で、文化財保護と安全のため現在は盛土で埋められていますが、床から一部を見ることができます。


熊本城
加藤清正により慶長4年(1599)に築城が始まり、本丸は慶長12年に完成しました。周囲5.3km・総面積約98万平方メートルの広大な城域に櫓49棟・櫓門18棟・城門29棟があったとされています。現在は宇土櫓をはじめ13棟が国の重要文化財、57.8万平方メートルが国の特別史跡に指定されています。


小天守石垣の石
大小天守石垣積み直し工事(2018〜2019年)で劣化により再使用できなかった石です。明治10年(1877)の炎上時の高熱で表面が薄くはがれており、石を割り出した矢穴や明治22年以降の再加工の痕跡も残る歴史の証拠です。


本丸御殿売店


本丸の近くに位置する売店で、御朱印やオリジナルグッズなど様々な商品を購入できます。


櫨方会所跡
現在加藤神社がある場所は、江戸時代後半にろうそくの原料となるハゼの栽培を管理する「櫨方会所」が置かれていました。昭和35年(1960)の加藤神社移築に伴い、櫨方門は竹の丸に移設され料金所として使用されました。


飯田丸五階櫓
加藤清正の家臣で「築城の名手」飯田覚兵衛が築いたと伝えられる一帯で、南西角に五階櫓が建てられていました。平成17年(2005)に木造で復元されましたが、平成28年(2016)の地震で下部石垣が崩落。角石のみで櫓を支え被災した人々に勇気を与えましたが、現在は解体中で、解体中に築城当初の石垣が確認されました。


加藤神社




主祭神は加藤清正公、陪神として大木兼能公・韓人(金宣公)を祀っています。


鳥居
白い鳥居が参拝者を出迎える加藤神社の入口です。入ったところに、駐車場も利用されていました。


加藤神社由緒書き
主祭神は加藤清正公。永禄5年(1562年)尾張国中村の出身で、27歳で肥後国に入国し熊本城を築城。土木・治水・干拓・街道整備など数々の偉業を残した名将です。智仁勇の三徳を兼備し一実至誠の人格者として、今も熊本の人々から「清正公さん(せいしょこさん)」と親しみを込めて呼ばれています。陪神として大木兼能公・韓人(金宣公)が祀られています。


手水舎


参拝前に手を清める手水舎です。境内に静かに佇む趣ある造りが印象的です。


仮社務所



仮社務所ではお守りや御朱印を授与しています。横長の御朱印や桜のピンクが可愛らしいデザインのものなど種類も豊富で、加藤清正公をモチーフにしたかっこいい御朱印も人気です。


清正公の旗立石
加藤清正公ゆかりの旗立石で、歴史の重みを感じさせる境内の見どころのひとつです。清正公の足跡を今に伝える貴重な遺構です。加藤清正公ゆかりの旗立石で、歴史の重みを感じさせる境内の見どころのひとつです。清正公の足跡を今に伝える貴重な遺構です。


白鬚神社




白鬚大明神(導きの神)・菅原道真公(学問の神)・大国主神(福徳円満の神)・恵比寿神(商売繁盛の神)の四柱を祀る末社です。


社務所
社務所の前にはくまもんが出迎えてくれます。中への入場は事前予約が必要そうでした。


清正公お手植えの樹
慶長6年(1601)から慶長12年(1607)の熊本城築城の際、加藤清正公が大天守前の銀杏の樹とともにお手植えされたと伝えられる銀杏の樹です。


陸軍病院玄関前石垣
高さ12m・幅26mの間知石を積み上げた石垣で、江戸時代の絵図には描かれておらず明治4年(1871)以降に駐屯した陸軍が築いたものと考えられています。陸軍病院の正面玄関前にあたることから、装飾的に造られたものとみられています。


お菓子の香梅 熊本城香梅庵
創主・副島梅太郎さんがお菓子づくりに情熱を注ぎ、「お菓子は平和の使者」という精神のもと一生涯をかけてきた熊本の老舗菓子店です。「くつろぎのごちそう」を理念に、時代を超えて人々の心を満たすお菓子づくりを続けています。
参考 : 香梅について | お菓子の香梅

森からし蓮根 城彩苑「桜の小路」
寛永9年(1632年)に肥後入りした細川忠利公が常食し、病弱から剛健になったというエピソードで知られる伝統の逸品です。その後、肥後細川藩の珍味栄養食となり明治維新まで門外不出とされていました。
参考 : 森からし蓮根 – 城彩苑 桜の小路―熊本城観光施設

菅乃屋 熊本城彩苑 桜の小路店
鮮度と品質にこだわった馬刺し・馬肉加工品の専門店です。加藤清正公の時代から薬膳料理として珍重されてきた馬肉は、低カロリー・高たんぱく質・高ミネラル・鉄分豊富で美容と健康にぴったりの食材です。
参考 : 馬肉専門店 菅乃屋 – 城彩苑 桜の小路―熊本城観光施設

西南の役回顧之碑
明治十年(1877年)の西南の役で、熊本城では鎮台司令長官・谷干城が51日間にわたり城を死守。甚大な被害を受けた熊本はその後近代都市として復興を遂げ、将兵たちの奮戦を後世に伝えるため昭和52年にこの碑が建てられました。


坪井川


熊本市北区に源を発し、熊本城・熊本市役所・熊本駅など市街地中心部を流れて有明海の島原湾に注ぐ川です。熊本城の内堀として活用され、国の重要文化財・長塀(242m)が川沿いに走っています。橋本勘五郎の手による明八橋・明十橋など歴史ある石橋も架けられており、童歌「あんたがたどこさ」で歌われる「せんば川」もこの坪井川のことといわれています。1960年代には環境が極端に悪化してドブ川のような状態となりましたが、市を挙げた取り組みにより改善されました。
参考 : 坪井川 (熊本県) - Wikipedia

行幸橋
明治35年(1902)の明治天皇行幸に際して整備された橋で、もとは「下馬橋」と呼ばれていました。行幸坂の延長に新たに架け直され「行幸橋」と改称されました。橋のたもとには高さ約21m・幅約14mの壮麗な奉迎門も建てられたとされています。
参考 : 明治天皇の熊本城行幸

加藤清正公像
加藤清正(1562-1611)の肖像画を基に1979年に制作された銅像です。熊本城を築城した清正公が、トレードマークの顎髭・長烏帽子形の兜・棒采配を持ち虎の毛皮の上に座る姿を表しています。関ヶ原の戦い後に肥後全土を領有し、数々の治水・干拓工事で今日の熊本の礎を築いた人物です。


民生委員の父 林市蔵翁胸像



慶応3年(1867年)生まれ。貧しい環境の中で東大法科を卒業し、内務省・三重県知事・大阪府知事などを歴任しました。第一次世界大戦後のインフレで社会福祉の急務を悟り、方面委員制度を創設。現在の民生委員制度の礎を築いたことから「民生委員の父」と称されています。


猿田彦大神
道開きの神として知られる猿田彦大神が祀られています。


辰巳大明神
熊本城稲荷神社の境内に鎮座する社です。安産の神として知られています。


正一位白髭稲荷大明神
学業成就・芸能成就・火伏・火難除・病気平癒のご利益があるとされる神々が祀られています。


水かけ地蔵尊(地蔵菩薩)
神道の神に限らず、仏様も境内に一緒に祀られています。正月・お盆・年末にはお地蔵様の祭典「地蔵祭」が毎年執り行われています。
参考 : 観音菩薩、地蔵菩薩像 | 熊本城稲荷神社は熊本県熊本市にある、加藤清正公が勧請した神社です。

正一位貞廣大明神
熊本城稲荷神社の境内に鎮座する土木の神です。静かな境内の中に佇む存在感ある社です。


手水舎
参拝前に手を清める手水舎です。境内に静かに佇む趣ある造りが印象的です。


高橋公園


坪井川沿い、千葉城橋と厩橋の間に位置する公園で、戦前の第六師団長官舎跡地に造られました。熊本市第7代市長・高橋守雄を記念した公園で、熊本城を望む広々とした芝生が広がります。
参考 : 高橋公園(横井小楠と維新群像、谷干城像) | 観光地 | 熊本市観光ガイド

横井小楠をめぐる維新群像の碑
幕末維新期の大思想家・横井小楠(1809-1869)を記念した群像です。熊本城下に生まれた小楠は藩校時習館で学び、江戸遊学を経て実学を主唱。越前藩・松平春嶽のもとでその経綸を実現し、勝海舟・坂本龍馬にも影響を与えました。明治元年に新政府の参与に就任しましたが、翌年京都で凶刃に倒れました。


熊本鎮台司令長官谷干城像
天保8年(1837)高知県生まれ。明治6年(1873)に熊本鎮台司令長官となり、西南戦争では54日間の籠城戦に耐えて政府軍を勝利に導きました。銅像は昭和12年(1937)に彫刻家・朝倉文夫が制作しましたが戦中に失われ、昭和44年(1969)に再建されました。