








道の駅 川辺やすらぎの郷
















物産館やレストラン、食品加工施設を備え、地元生産者による新鮮な野菜・果物・花卉のほか、川辺地鶏や川辺牛、地場産原料にこだわった加工品・特産品を幅広く取り扱う、地域密着型の道の駅です。
参考 : 道の駅 川辺やすらぎの郷|鹿児島県南九州市

知覧平和公園


中心には 知覧特攻平和会館があり、特攻隊員の遺品や遺書、写真などが展示されています。


知覧特攻平和会館










知覧特攻平和会館は、沖縄戦で体当たり攻撃を行った特攻隊員の遺品や記録を保存・展示し、戦争の実情を後世に伝えて平和に貢献する施設です。
実際に使われた戦闘機も展示されていて、自分がそれに乗る立場だったらと思うと、恐怖と覚悟の重さに胸が詰まる思いでした。自分よりも若い人たちが命を懸けて飛び立ったことを思うと、その現実が信じられず、平和の尊さを改めて感じました。


海軍 零式艦上戦闘機











この零戦は、かつて海軍で使われていた戦闘機の一つで、鹿児島の海に沈んでいたもです。昭和20年にエンジンの故障で海に不時着し、約35mの深さの海底に眠っていましたが、昭和55年に知覧町が引き揚げて展示して、現在残っているのは機体の前方部分だけとのことです。


急須と湯呑のモニュメント



映画「ホタル」のロケ地であり、特攻隊員だった主人公と余命わずかな妻の夫婦愛を描いた作品の一場面が撮影された場所です。


ちらん特産品の店


知覧茶などを販売しています。


レストイン武家屋敷









心安らぐひとときを提供する和のレストランです。


道路沿いの灯ろう




観音堂へ続く県道沿いには、全国の遺族や関係者、有志の方々によって寄進された灯ろうが並んでいます。静かに続く灯ろうの列は、特攻隊員たちへの追悼の思いと平和への祈りが形となって受け継がれていることを感じさせます。


知覧平和公園売店
知覧平和公園のそばにある小さな売店で、散策途中の休憩やお土産探しに便利な場所です。店内には知覧茶や地元の特産品、さつま揚げなどの名物がそろっており、観光の締めくくりに立ち寄りやすい雰囲気があります。


水車からくり



水車からくりは全国でも珍しい文化財で、県内では南九州市知覧町の豊玉姫神社と南さつま市加世田の竹田神社にしか伝承されていません。特に知覧の水車からくりは、人形の手足まで動かす精巧な仕掛けが特徴で、加世田の舞台が円形に回転するダイナミックな仕掛けとは対照的です。


起源と伝承の背景
水車からくりの起源には明確な記録がなく不明ですが、知覧麓では男子の初節句に手廻しの簡単なからくりが行われていたと伝えられています。また、麓の武士たちが人形を制作したともいわれ、地域の生活と技術が深く関わっていたことがうかがえます。


水車技術とのつながりと文化的価値
南九州では江戸時代から製鉄や骨粉製造に水車が利用されており、その技術が水車からくりへ継承されたと考えられます。知覧の水車からくりはその歴史的背景をもつ貴重な文化財であり、加世田とともに日本遺産の構成文化財として評価されています。


豊玉姫神社





豊玉姫神社には特殊な信仰があり、護符を身につけると絶対の安全と幸福が得られると信じられてきました。特に安産と美形の子を授かるとされ、女性の崇敬が非常に厚い神社です。また、祭神の豊玉姫・豊玉彦・玉依姫はいずれも海を司る綿津見の神で、航海や船出の際にも信仰されてきました。


由緒と神社の歴史
豊玉姫命は御顔が玉のように美しかったと伝わり、安産の際も軽々と産まれたという伝承があります。神社はもともと知覧を治めた玉依姫を中心に祀られ、のちに父神・夫神・妹神も合祀されました。慶長15年(1610)頃の領主が麓に社殿を建立し、鎮守神として崇敬したのが神社の始まりと伝えられています。その後、島津忠充が現在地を寄進して遷宮したとされ、歴代の島津家の崇敬も厚く、改築の際には加工や祭米が奉納されました。


神社に伝わる宝物と文化財
神社には火焔型剣や神楽面(慶長・安永・貞享・元禄作など)を含む多数の宝物が伝えられています。また、知覧領主の直筆書額、木彫狛犬、セレベス島特有の武器なども所蔵されています。出陣の際には祈願祭が行われ、多数の祈願文が残されており、境内の夫婦銀杏は島津貴久公の御手植と伝えられています。


古文書に見る信仰の広がり
応永年間(1394〜1428)や元亀元年、慶長15年など多数の古文書に記録があり、豊玉姫神社は近郷からも厚く信仰されました。知覧忠世の和与状にも記されるように社格は高く、地方民の精神的な中心であったことが分かります。


姫神たちの伝承とゆかりの地
豊玉姫と玉依姫にまつわる伝承では、海神綿津見神の二女である姉妹が別々の地を治めることになった経緯が語られています。豊玉姫は川辺へ、妹の玉依姫は知覧へ向かい、それぞれの地を宰領したとされます。道中には「御化粧水」「費水峠」など多くのゆかりの地名が残り、姫神の足跡を伝えています。