








伊地知、吉井、政変について語る碑
安政7(1860)年の桜田門外の変で井伊大老が暗殺され幕府の勢力が弱まる中、薩摩の精忠組(誠忠組)の伊地知正治・吉井友実・大久保利通らもこの政変をめぐって活発な議論を重ねていました。


「島津斉彬公像」朝倉文夫




島津斉彬は海外文化に通じ、列強の脅威を感じて日本の近代化を進めた薩摩藩主です。1851年に藩主となり、磯の集成館で造船・製鉄などの産業を育て、西郷隆盛や大久保利通ら人材も育成しました。1858年に亡くなりましたが、その志は久光や忠義、西郷・大久保らに引き継がれました。銅像は1917年に朝倉文夫が制作したものです。


戊辰之役戦士顕彰碑
鹿児島市の照國神社境内にある記念碑で、戊辰戦争で戦った薩摩藩兵の功績と戦没者をたたえるために建てられたものです。島津斉彬像の近くにあり、境内の散策ルートの一部として訪れやすい場所にあります。碑には戦死者の名などが刻まれており、幕末から明治維新期の薩摩の歴史をしのぶスポットとして知られています。


幼年学校(賞典学校)跡
幼年学校(賞典学校)は、明治7年(1874年)に西郷隆盛がこの地に設立した、士官養成を目的とした学校です。西郷隆盛や桐野利秋ら維新の功績に対する賞典禄をもとに作られたため「賞典学校」とも呼ばれました。篠原国幹の指導のもと、漢学の久木山泰蔵、洋学の深見有常、さらにオランダやイギリスの外国人教師が教えました。
この学校では海外留学制度も設けられ、1875〜1876年にかけて複数の生徒を海外に送り出しています。また、山形県庄内からの少年たちもここで学び、当時としては先進的な教育が行われた場所でした。


鹿児島県歴史・美術センター黎明館



黎明館(鹿児島県歴史・美術センター)は、明治百年を記念して昭和58年(1983年)に開館した人文系の総合博物館です。文化勲章受章者・谷口吉郎氏設計によるもので、考古・歴史・民俗・美術工芸の常設展示のほか、年複数回の企画展も開催しています。
敷地は江戸時代の鹿児島城本丸跡にあたり、堀・石垣・石橋など当時の姿が残されています。令和2年(2020年)には147年ぶりに御楼門が復元され、令和5年(2023年)には鹿児島城跡が国の史跡に指定されました。
参考 : 鹿児島県/鹿児島県歴史・美術センター黎明館

私学校跡記念碑


明治6年(1873年)、西郷隆盛が鹿児島の士族たちのために設立した「私学校」の跡地であり、現在は門と石塀の一部が残されています。


私学校跡石塀



西郷隆盛が政争に敗れ帰郷後、慕って集まる若者たちの求めに応じ1874年に私学校を設立しました。鶴丸城の厩跡に銃隊学校・砲隊学校を本校とし、城下に12校、県下に136もの分校が生まれました。オランダ人・イギリス人教師を招くなど当初は近代的な教育機関を目指しましたが、年々強大化し反政府の気運が高まり、過激派生徒が政府火薬庫を襲撃。これが西南戦争の引き金となり、私学校はわずか4年でその歴史を閉じました。石垣には今も激戦を物語る銃弾の跡が残っています。


ラーメン 小金太




豚骨と鶏ガラをベースのスープは、まろやかで甘みがあり臭みのないクリーミーな味わい。中太ストレート麺や厚切りチャーシューも評判で、チャーハンや餃子とのセットも大人気です!


大久保利通像





こちらの像は、明治維新の立役者・大久保利通公を顕彰する銅像です。西郷隆盛と並び、近代日本の礎を築いた大久保利通の功績を後世に伝えるために建てられました。像の表情は凛として静かで、国家の未来を見据えた彼の強い意志と責任感を感じさせます。
明治政府の要職として、版籍奉還・廃藩置県・地租改正・殖産興業の推進など、日本の近代化を支えたその姿は、今も訪れる人々に深い感銘を与えます。静かに立つ像を前にすると、激動の時代を生き抜いた彼の覚悟と誠実な政治理念が伝わってくるようです。


南洲橋






南洲橋は、鹿児島市中心部の甲突川に架かる歩行者専用の橋で、周辺は加治屋町など西郷ゆかりの地に近く、川沿いには桜並木が続いており、桜島を望む美しい景観が楽しめます。


鹿児島ラーメン 豚とろ 中央駅前店



名前の通り、とろっとろのチャーシューが絶品!口に入れた瞬間にほろほろとほどけて、これだけでも食べに来る価値があります😊 スープは豚骨ベースで見た目よりこってり感が少なく、くせがなくおいしかったです!
参考 : 鹿児島ラーメン豚とろ 鹿児島中央駅前店