








鉄物櫓跡
福岡城の遺構のひとつ、鉄物櫓跡です。鉄物櫓は鉄製品などを保管するための櫓です。


桐の木坂
桐の木坂は福岡城の南西側にあり、三の丸から二の丸へ入るための桐木坂御門があった場所です。進入路は防御のため鍵型の造りになっており、これは北東にある上之橋御門などと同じ構造ですが、勾配の急な坂や不揃いな自然石を積み上げた野面積の石垣など、上之橋御門とは対照的な雰囲気を持っています。
参考 : 福岡城内の足跡(表示石)を訪ねて(その7)~桐木坂御門跡~|福岡城・鴻臚館

武具櫓御門跡
この場所は福岡城本丸の南端にあたり、かつて武具櫓が建てられていました。武具櫓は東西に三階建ての櫓を配し、その間を二階建ての多聞櫓でつなぐ構造で、南からの敵の来襲に備えた厳重な構えとなっていました。黒田家伝来の武具などが納められていたことから、この名で呼ばれるようになったと伝えられています。


天守台跡
標高36mの天守台からは、西側に広がる大濠公園を見下ろし、福岡タワーまで望むことができます。近年、細川家の古文書をもとに福岡城の天守閣が一時期存在し取り壊されたとする説が出されましたが、黒田家の古文書には天守閣の存在を裏づける資料が残っておらず、その真偽は今も謎に包まれています。


埋門跡
福岡城の遺構のひとつ、埋門跡です。


裏御門跡
特別な日に使われた表御門に対し、裏御門は藩士たちが日常的に利用した門でした。門の左手には古時打櫓と呼ばれる櫓が設けられ、時刻を知らせる太鼓が据えられていました。福岡城は、黒田官兵衛・長政父子がその実戦経験と英知を結集して築いた城で、官兵衛の死後、慶長12年(1607)に完成しました。


本丸跡
福岡城の中心である本丸には、藩主の執務・生活の場である本丸御殿が置かれていました。二代目藩主忠之が三の丸に御殿を新たに造ってからは、本丸御殿は儀礼や儀式の場として使われるようになりました。
参考 : 城の構え|【公式】福岡城・鴻臚館

表御門跡
二の丸から本丸へ上がる地点には、櫓門形式の重厚な造りの本丸表御門がありました。日常的に使用された裏御門に対し、表御門は特別な日に使われた門です。門は大正7年(1918)、黒田家の菩提寺である崇福寺の山門として移築され、現在もその遺構を見ることができます。


松原櫓跡(向櫓跡)
福岡城の遺構のひとつ、松原櫓跡です。かつてこの場所に、城を守る櫓が建っていました。


福岡城の碑
福岡城跡にある碑です。


舞鶴公園
舞鶴公園は、市の中心天神から歩いて15分のところにあります。舞鶴公園のシンボルは福岡城跡で、春にはお城の石垣に桜の花が彩りをそえます。福岡市を代表する、歴史と憩いのセントラルパークです。
参考 : 舞鶴公園について - 舞鶴公園(公益財団法人福岡市緑のまちづくり協会)

福岡城むかし探訪館
福岡城むかし探訪館は、福岡城の歴史と黒田家ゆかりの品々を紹介する展示施設です。福岡藩初代藩主黒田長政は、手狭になった名島城に代えて警固村福崎の地(現・舞鶴公園)を選び、慶長6年(1601)から約7年をかけて福岡城を築城し、本城を守るため「筑前六端城」と呼ばれる支城群も整備しました。館内には黒田長政所用と伝わる兜や、織田信長・北条氏にゆかりのある名刀など黒田家の名宝に関する展示のほか、太鼓櫓・松ノ木坂御門・武具櫓など、移築や戦災によって失われた城内の櫓・門の歴史を伝える展示があります。