








筥崎宮
筥崎宮は延長元年(923年)に創建された神社で、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神としています。文永11年(1274年)の元寇の際に社殿を焼失したほか度々火災に見舞われましたが、天文15年(1546年)に大内義隆によって本殿・拝殿が、文禄3年(1594年)には小早川隆景によって楼門が再建され、いずれも国の重要文化財に指定されています。境内には元寇の際の蒙古碇石が残るほか、仲秋大祭(放生会)などの祭事が現在も行われています。


本殿
筥崎宮の本殿は、醍醐天皇の延喜21年(921)に大宰少弐藤原真材朝臣が神のお告げにより神殿を造営し、長徳元年(995)には大宰大弐藤原有国が回廊を造営したと伝えられています。現存する本殿・拝殿は天文15年(1546)に大宰大弐大内義隆が建立したもので、総建坪46坪に及ぶ優秀な建物です。
九間社流造(きゅうけんしゃながれづくり)で漆塗、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)、左右には車寄せがあります。
参考 : 境内のご案内|日本三大八幡宮 筥崎宮【公式】

御神木 筥松
御神木「筥松」は、筥崎宮の御祭神である応神天皇と神功皇后が筑紫国宇美の里で誕生された際、その御胞衣を筥に納めてこの浪静かな地に埋め、標として植えられたと伝わる松です。以来この地は「筥崎」と称えられ、この松は「標の松」または「筥松」と呼ばれて御神木として尊ばれてきました。『続古今集』には法印行清による「千早振る神代に植えし箱崎の松は久しき標しなりけり」の歌も残されています。


筆塚
筥崎宮の境内にある筆塚です。使い終えた筆を納め、感謝を込めて供養する塚で、日本各地の神社仏閣で見られる古くからの慣わしです。


絵馬殿
筥崎宮の絵馬殿です。参拝者が願いを込めて奉納した絵馬が納められる、社寺ならではの建物です。


亀山上皇尊像奉安殿
亀山上皇尊像奉安殿は、福岡県指定重要文化財に指定されています。現在博多区の東公園内に建つ亀山上皇の銅像は、鎌倉時代中期の元寇(蒙古襲来)に際し「我が身を以て国難にかわらん」と敵国降伏の祈願をし、博多の街の安寧を祈願された亀山上皇を顕彰して明治37年(1904)に完成したもので、この銅像の原型となった木彫像は福岡県出身の彫刻家・山崎朝雲が製作し、その大きさは約6メートルです。
拝観時間は毎日9時から16時までとなっています。
参考 : 境内のご案内|筥崎宮

銭洗御神水
銭洗御神水は、筥崎宮の境内にあるパワースポットで、金銭をてぼに入れ御神水で洗い清めて心清らかに福寿開運を念じる場所です。持ち帰ったお金は使用することで世の中を巡り、福を授かると信じられています。
参考 : 境内案内|筥崎宮

あじさい苑
筥崎宮のご本殿右奥にある「あじさい苑」では、御社殿を借景に、およそ1700坪の敷地に約100品種3500株のあじさいが咲き競います。
開苑期間は毎年6月1日から30日までで、開苑時間は9時30分から17時(最終入場16時30分)です。
参考 : 参道花めぐり『あじさいまつり』のお知らせ

湧出石
湧出石は、触れると運が湧き出るといわれる筥崎宮のパワースポットです。古事によれば、この石には「国に大事がある時、地上に姿を現す」との言い伝えもあり、運気上昇や招福開運を願って触れる参拝者が訪れます。「筥崎宮縁起絵巻」にもその姿が描かれています。


元寇歌曲碑
筥崎宮の境内にある、元寇にまつわる歌が刻まれた碑です。「敵国降伏」の扁額でも知られるこの神社は元寇と縁の深い地であり、その歴史を今に伝えています。


唐船塔と夫婦石
唐船塔は、謡曲「唐船」に伝わる物語にちなむ供養塔です。日本に捕らわれた唐人祖慶官人は筥崎宮大宮司に仕え、日本人妻との間に二人の子をもうけて平和に暮らしていましたが、やがて唐土に残した子供が迎えに来たため、筥崎殿の計らいで日本で生まれた子も連れて帰ることが許されました。この塔は、迎えに来た子が父の死を案じて用意していた供養塔と伝えられ、聖福寺の画僧仙厓和尚による「箱崎のいそべの千鳥親と子となきゝしこえをのこす唐船」の歌も残っています。祖慶官人と妻が別れの際に腰かけて名残を惜しんだと伝わる一対の立石は「夫婦石」と呼ばれています。


大楠
筥崎宮の境内にそびえる大きな楠です。長い年月をこの地で見守ってきたであろう、堂々とした佇まいです。


一の鳥居
筥崎宮の一之鳥居は、御本殿に近い方から数えて一之鳥居、二之鳥居と呼ばれる鳥居のひとつです。慶長14年(1609)、藩主黒田長政が建立したとその銘に記されています。
柱は三段に切れて下肥りに台石へと続き、笠木島木は1つの石材で造られて先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じという異色の形をしていることから「筥崎鳥居」と呼ばれています。
参考 : 境内のご案内 | 日本三大八幡宮 筥崎宮【公式】

恵光院
恵光院は、筥崎宮の社坊であった座主坊の末寺として、二代福岡藩主黒田忠之の開基により寛永年間(1624~1644)に建立されました。明治初期の廃仏毀釈の際には、法院賢秀が筥崎宮や社坊の仏教関係の遺品をこの恵光院に移して守ったと伝えられています。
参考 : 恵光院 | 文化財情報検索 | 福岡市の文化財

燈籠堂
燈籠堂(恵光院)は、天正15年(1587年)に九州平定を終えた豊臣秀吉が筥崎宮に滞陣した際、茶人千利休が秀吉や博多の豪商神屋宗湛らを招いて堂の周辺で茶会を開いたと伝わる場所です。当時、堂は筥崎宮の境内にありましたが、明治維新の神仏分離により恵光院に移されました。創建当初は三重閣の堂で、上閣に燈籠を掲げそれぞれに観音像を安置していたと伝えられ、現在は堂前に樹齢約200年の菩提樹があり6月には見事な花を咲かせます。