








鴻臚館跡
鴻臚館跡は、7世紀後半から11世紀中ごろにかけての古代の迎賓館の跡で、日本国内に3カ所設けられたもののうち遺跡が確認されているのはこの筑紫の鴻臚館のみです。1999年から2013年にかけて平和台野球場跡地で発掘調査が行われ、堀を挟んで南北二つの建物が何度か建て替えられていたことや、堀に橋が架けられていたことなどが明らかになりました。現在この広場では、8世紀前半頃の建物を囲む門や塀、トイレなどが地表に表示され、遺跡そのものは地下に保存されています。


鴻臚館跡展示館
鴻臚館跡展示館は、古代日本の外交施設であった鴻臚館の遺構を紹介する展示館です。鴻臚館は大宰府の出先施設として、飛鳥時代の7世紀後半から平安時代半ばの11世紀半ばまで約400年にわたって存続し、当初は「筑紫館」と呼ばれていましたが、平安時代に中国唐王朝の鴻臚寺にならって改称されました。奈良〜平安時代初期には中国や新羅からの外交使節の接待や遣唐使・遣新羅使の宿泊地として、平安時代半ば以降は海外商人が行き来する交易拠点として利用され、昭和62年(1987)末の発見以降の発掘調査では唐代〜北宋代の陶磁器や西アジアのガラス容器、イスラム陶器など古代東アジア交流を物語る遺物が多数出土しています。館内には建物礎石や8世紀のトイレ跡などの遺構のほか、税として運ばれた品物に付けられた木簡なども展示されています。


旧母里太兵衛邸長屋門
旧母里太兵衛邸長屋門は、黒田二十四騎の一人・母里太兵衛友信(1556〜1615)の屋敷門で、もとは現在の天神2丁目にあったものを昭和40年(1965)にこの場所へ移築したものです。母里太兵衛は筑前入国後に領内の支城の一つ大隈城の城主となった武将で、福島正則から名槍「日本号」を飲み取った逸話は筑前今様「黒田節」で広く知られています。長屋門は屋敷周囲の長屋と門が一体化した形式で、この門は江戸時代の武家屋敷の長屋門の形態を良好にとどめていることから、昭和31年(1956)に県指定文化財となりました。


黒田如水公御鷹屋敷跡
黒田官兵衛(如水、1546〜1604)は播磨国姫路出身の武将で、初代福岡藩主黒田長政の父にあたります。はじめ姫路の小寺氏に仕え、のちに豊臣秀吉の参謀役として活躍し、関ヶ原の戦いでは息子長政の働きにより筑前一国を領する大名となり福岡城を築きました。晩年は名を如水と改め、「筑前国続風土記」の記述によればこの地に隠居したと推測されており、現在は昭和55年(1980年)に整備された牡丹・芍薬園となっていて、4月から5月にかけて約2000株の大輪の花が咲き誇ります。


牡丹芍薬園
舞鶴公園の牡丹芍薬園には、赤、ピンク、黄色、白など色とりどりの牡丹と芍薬が植えられ、来園者の目を楽しませています。
開花期の4月から5月には、毛氈を敷いたベンチが用意され、ゆっくりと鑑賞できる「花まつり」も開催されます。開花期の園内状況は、インスタグラムで随時更新されています。
参考 : 公園・施設の特色 | 舞鶴公園 | 緑のまちづくり

名島門
名島門は、天正15年(1587)に小早川隆景が多々良川口の名島に築いた名島城の脇門でした。慶長年間(1596〜1614)に黒田長政が居城を名島城から福岡城へ移した際、黒田二十四騎の一人である林掃部に譲り渡され、その邸宅の門として使用されました。「名島ひけ」とも呼ばれ、名島城の数少ない遺構の一つとされています。明治中頃には長崎へ移築されそうになりましたが、当時の代議士によって買い戻されて天神の自宅の門として使われ、戦後のビル建設に伴って現在の場所へ移築されました。


三の丸跡
三の丸は、福岡城を構成する三の丸・二の丸・本丸・天守台の四層構造のうち、最も広大な敷地を占める曲輪です。黒田如水の隠居所であった高屋敷(御鷹屋敷、現在の牡丹芍薬園)と松ノ木坂を結ぶ石垣によって東部と西部に二分されており、東部は東西約900メートル・面積およそ18ヘクタールで内郭総面積の約五分の二を、西部は南北700メートル・面積およそ13ヘクタールで内郭総面積の約三分の一を占めています。
参考 : 福岡城内の足跡(表示石)を訪ねて(その1)~三の丸跡・侍屋敷跡~ - 【公式】福岡城・鴻臚館

上之橋
上之橋は、福岡城の正門にあたる上之橋御門があった場所で、裁判所の横に位置しています。
平成24年7月から始まった修復工事では、江戸時代に人力だけで築かれた石垣を一度すべて運び出し、伝統的な技法によって積み直し、本来の姿によみがえらせました。
参考 : 修復された上之橋御門

平和台野球場記念モニュメント
平和台野球場記念モニュメントは、かつて福岡城跡の舞鶴公園の一角にあった西鉄黄金時代の本拠地球場、平和台野球場の跡地に設置された記念碑です。同球場は1950年3月10日、セ・リーグ結成初戦となる開幕戦を下関球場と共に行いました。
現在はお濠をへだてた大通りの脇に記念碑が設置されています。
参考 : 平和台野球場跡|聖地・名所150選|野球伝来150年特設サイト

堀石垣
堀石垣は、福岡城の天守台・本丸・二の丸・三の丸などを取り囲む石垣の一部で、毎週土・日曜日の午前10時から午後5時まで公開されています。福岡城の石垣は総延長3kmを超え、高さ10mを超える箇所もある壮大なもので、自然石をそのまま積む古い様式の「野面積」と、矢で割った粗割石を積む「割石積」の大きく二種類に分けられます。石垣の隅には長方形の石材を一段ごとに向きを違えて積む「算木積」の技法が見られるほか、藩主の権力の象徴とされる縦に長い「鏡石」など、多様な石積みの技術を間近で観察することができます。