








徳重神社

















徳重神社は、第十七代薩摩藩主・島津義弘公を御祭神として祀る神社です。義弘公は天文4年(1535)に伊集院町徳重で誕生し、父・島津貴久公の跡を継いで薩摩を治めました。元和6年(1620)に85歳で没し、その功績を偲び霊を慰めるために徳重神社が建立されました。もとは義弘公の菩提寺であった妙円寺が、明治2年の廃仏毀釈で廃寺となったことにより、神社として形を変えて受け継がれた歴史を持ちます。


徳重神社と妙円寺の変遷
妙円寺は、明徳元年(1390)に大内義弘の息女・法智妙円大姉によって菩提寺として創建された由緒ある寺院です。後に島津義弘は自らの木像を納め、妙円寺を菩提寺としましたが、明治2年の廃仏毀釈により取り壊され、その跡地に徳重神社が建立されました。その後、妙円寺は明治13年に神社近くへ復興され、現在に至っています。


勇名を響かせた武将の足跡
島津義弘公は、戦国時代に「名将」「戦神」と称えられた人物で、関ヶ原の戦いでは西軍敗北の中、徳川本陣の真っ只中を突破する壮絶な退却戦を成功させました。この敵中突破は現在でも語り継がれ、その勇名を全国に轟かせました。また、文武を奨励し郷土を深く愛した人物としても知られています。


伝統行事「妙円寺詣り」
徳重神社では、島津義弘公の武運長久を祈ったとされる故事を踏まえ、現在も「妙円寺詣り」が行われています。関ヶ原での苦闘をしのぶこの行事では、若者たちが鎧兜に身を包み、神社へ向かって練り歩く姿が見られ、鹿児島を代表する伝統行事として親しまれています。地域に根づく歴史と敬意が形として残る、貴重な文化のひとつです。


妙円寺


妙円寺は島津義弘公の菩提寺であり、一度は廃仏毀釈によって失われましたが、明治13年(1880)に再興された歴史を持つ禅寺です。本堂には義弘公をはじめ、島津四兄弟、そして関ヶ原の戦いで義弘公の身代わりとして戦死した甥・豊久の位牌が納められています。義弘公の足跡と深い敬意が今も静かに息づく場所です。


妙円寺詣り
妙円寺は、鹿児島三大行事のひとつ「妙円寺詣り」発祥の寺とされています。この行事は、義弘公をしのび、泰平の世に武士の士気を鼓舞し、心身を鍛えるために、鹿児島城下の武士たちが夜を徹して妙円寺へ参拝したことに始まりました。島津家の精神文化を伝える重要な場として受け継がれています。
鹿児島市内から日置市伊集院町まで約20kmを歩いて参拝する壮麗な伝統行事です。現在では郷土芸能の奉納や武道大会、家族連れでにぎわうウォークラリーも行われ、5万人を越える人々が訪れる大きな催しとなっています。


騎馬武者「島津義弘公」中村晋也






JR伊集院駅を降りると、名将・戦神と呼ばれた島津義弘公の騎馬像が勇ましく出迎えてくれます。この像は鹿児島の彫刻家・中村晋也氏による作品で、島津義弘公が敵中突破を果たした姿を表現しています。


第十七代薩摩藩主・島津義弘公


第十七代薩摩藩主・島津義弘公は、慶長5年の関ヶ原の戦いで敵に背を見せず退却するという前代未聞の戦法を成し遂げ、その武勇を天下に轟かせました。朝鮮出兵後には南冥山に敵味方を分け隔てなく弔う戦塚塔を築き、その心は日本古来の精神の鏡と称されます。和歌や書を好み、連歌や茶道、薩摩琵琶にも精通するなど、文武両道の名君としても知られます。
その功績を後世に伝えるため、町民の浄財によって「薩摩の心」と銘打たれた像が建立されました。実際に目にすると、紐や武具の細部まで精緻に再現され、迫力と気迫がみなぎっており、とてもかっこよかったです!


日置市観光案内所




伊集院駅を出るとすぐの場所には、日置市の物産を紹介・販売している日置市アンテナショップと日置市観光案内所があります。訪れた人が日置市の魅力に触れられる場所として親しまれており、駅からすぐに立ち寄れる便利な施設です。


丸十製菓 伊集院饅頭
丸十製菓の伊集院饅頭は、白いまんじゅうのほか、紫芋を使ったまんじゅうや黒ごまを使ったまんじゅうなど、さまざまな味を楽しむことができます。日置市ならではの味わいを手軽に味わえる一品です。


梅月堂 湯之元せんべい
梅月堂の湯之元せんべいは、山椒の香りが特徴の手焼きせんべいです。小麦粉・卵・砂糖だけでサクッと焼き上げられたほんのり甘い生地に、山椒の葉がさわやかに香ります。梅月堂は大正10年創業の老舗和菓子店で、「頑張る大人をポジティブにする」をモットーとしています。
次回はぜひ「湯之元せんべい」を手に入れたいと思います!


一宇治城跡(城山公園)


城山公園は、日置市のほぼ中央にある標高114mの小高い丘に広がる公園で、面積は約11.4ヘクタールととても広く、自然が豊かです。春は桜、秋は紅葉、初夏には新緑が楽しめ、展望台からは市街地や東シナ海、桜島まで見渡せる大パノラマが広がります。歴史ある城跡を活かしつつ、のびのびと自然に親しめる心地よい場所でした!


伊集院の歴史とキリスト教伝来
天文14年(1545)、島津貴久は一宇治城を居城として勢力を固め、薩摩・大隅・日向三州を統合する立場を築きました。その後、天文18年(1549)には、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本でのキリスト教布教を開始します。貴久は一宇治城でザビエルと対面し、領内での布教を一時的に認めましたが、仏教勢力の反発や貿易面での期待がかなわなかったことから、次第に態度を変えていきました。
やがてザビエルは鹿児島を離れ、平戸、山口、堺、京都へと向かい、日本各地へ教えを伝える道を切り開いていきました。一方、伊集院野町周辺では、伊作・阿多方面からの人々の移住により集落が形成され、麓として発展しました。現在も石垣などの遺構が残り、旧地頭仮屋跡は伊集院小学校として、地域の歴史を今に伝えています。


史跡 一宇治城跡
島津義久・義弘・歳久兄弟が幼少期を過ごした場所であり、妙円寺で学んだというエピソードは、地域と島津家との深い結びつきを感じさせます。また、1549年にザビエルが訪れた記録もあり、歴史の厚みと広がりに驚かされました。現地では、その歴史を想像しながら歩くと、時代を超えて息づく物語が目の前に広がるようでした。


フランシスコザビエル像


1549年9月29日、フランシスコ・ザビエルがこの地で島津貴久と会見し、キリスト教布教の許可を得たそうです。


井戸溝跡


この城山(一宇治城)には、自然の湧き水が3か所もあり、それを井戸として使い、第15代島津貴久公入城(約450年前)以前のもので、伊集院氏が居城の時使ったものと推定されます。


中之平城跡



荒瀬の方から神明城に登る中腹に上平城、中平城、下平城があり、神明城の北側を守るため、人工的に切崩して崖を作り僅かの平地を城として守ったところです。


蔵跡
食料や武器を納めていたのが蔵で、平生は番兵が厳重に守り、戦争となると蔵の戸を開き弓矢をとり食事の炊き出しなどして戦ったそうです。


ザビエル会見の地



フランシスコ・ザビエルは1549年、日本人ヤジロウの案内で鹿児島に来航し、第15代薩摩藩主・島津貴久と宇治城で会見しました。ザビエルは世界情勢やキリスト教の教えを説き、貴久は日本で初めてキリスト教布教を許可したそうです。


神明城跡


神明城は宇治城の北西端にある主要な曲輪で、鎌倉時代に築かれ伊集院氏の支配を経て島津貴久が入城しました。ここはフランシスコ・ザビエルが日本で初めてキリスト教の布教許可を得た場所とされ、後に記念碑が建てられましたが、島津貴久が移ったのち廃城となったそうです。


釣瓶城跡
釣瓶城(内城)は、一宇治城内で神明城に次ぐ高所に位置する城跡で、約30アールの平坦地に築かれたそうです。


花水木












「せせらぎの湯 花水木」は、伊集院駅近くで気軽に訪れられる温泉施設で、癒しと自然が調和した魅力が特徴です。人気の露天風呂では、ゆったりと流れる神之川のせせらぎや深い緑、心地よい風を感じながらくつろぐことができます。源泉の硫黄の香りが心地よく、肌にやさしいお湯を楽しめるのも魅力です。施設にはサウナや足湯、電気風呂などのバラエティ豊かな設備がそろい、家族でゆったり利用できる家族湯も完備されています。お土産もおいしく、観光の立ち寄り先としてもおすすめの温泉です。