








にしき屋
にしき屋は、龍宮神社のすぐ近くにある土産店で、無料のお茶サービスがあり暑い夏の水分補給にも助かりました!


お土産



店内では地元の特産品や焼酎が幅広くそろっていて、旅のおみやげ探しにぴったりです。


龍宮神社





長崎鼻の龍宮神社は、古事記や日本書紀にも登場する豊玉姫(乙姫様)を祀り、浦島太郎伝説の発祥地と伝えられています。この地の砂浜には今もウミガメが産卵のために訪れ、豊かな自然が海の幸を育むことから、人々は昔から亀を海の守り神として大切にしてきました。
そうした神話や自然への信仰が重なり、龍宮神社は縁結びや家内安全、商売繁盛、航海安全を願う多くの参拝者に親しまれています。
龍宮神社の御朱印は隣のお土産屋さんのにしき屋で書いていただけます。


長崎鼻





長崎鼻は、鹿児島県指宿市の薩摩半島南端に位置する岬で、美しい景観とともに神話・伝説の舞台としても知られています。特に有名なのが、「竜宮伝説の発祥の地」とされる点です。


古事記と長崎鼻



長崎鼻は、全国に伝わる竜宮や乙姫の伝説の中でも、竜宮伝説の発祥の地とされています。
ここに伝わる物語では、山幸彦(浦島太郎のモデルといわれる)が竜宮城で豊玉姫(乙姫)と出会い、3年間を共に過ごしました。
その後、身ごもった豊玉姫を連れて帰還する際、玉手箱(現在は枚聞神社に奉納)や千年舎酒を入れた大甕を持ち帰ったと伝えられています。
たどり着いたのは川辺郡竹山の「無瀬の浜」。その沖にある「甑州(竜宮門とも呼ばれる奇岩の島)」で豊玉姫は子を産み、その子は「鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」と名づけられました。この人物は、初代天皇・神武天皇の父とされています。


長崎鼻の溶岩



長崎鼻は、およそ2kmにわたって続く溶岩や岩石でできた岬で、先端では、溶岩が流れた跡をはっきり観察することができます。
この地形は、約10万年前の火山噴火によって生まれたものと考えられています。
長崎鼻では黒潮の影響で、南方系の魚やサンゴなど多彩な生き物が見られます。大きな魚の群れや珍しい白いサメ、ウミガメなどを間近に観察できるのが特徴です。


ソテツ自生地の北限
ソテツは恐竜時代から生き続けている植物で、「生きた化石」と呼ばれます。熱帯や亜熱帯に分布しますが、この周辺はその自生地の北限にあたります。
長崎鼻では昭和40年代からキンギョソウの栽培が本格的に始まりました。1月から5月にかけて、畑一面に色とりどりの花が咲き、花狩りも楽しめます。
宝永2年(1705)、山川出身の船員・前田利右衛門は、琉球から本土に初めてサツマイモを持ち帰り、サツマイモは全国に広まり、多くの人々を飢えから救いました。
明治30年(1897)には、その功績を讃えて徳光神社が建てられました。


長崎鼻パーキングガーデン




長崎鼻パーキングガーデンは、指宿の自然豊かなエリアに広がる動植物公園で、お子様連れには特におすすめの観光スポットです。
園内では動物や昆虫、熱帯植物などを間近に感じることができ、まるで自然の中を探検しているような体験が楽しめます。


軽食喫茶 インコ
園内にはカフェも併設されており、散策の合間にひと休みするのにぴったりです。


動物たち











園内では多くの動物たちに出会うことができ、普段の動物園ではなかなか体験できないような近さで驚かされました。
昆虫館もあり、虫好きな方にもおすすめスポットです。


圧倒的な自然



園内を歩いていると、まるでジャングルに迷い込んだかのような没入感が広がり、南国ならではの空気を肌で感じられます。熱帯植物に囲まれた道を進むたびに新しい景色が現れ、自然の力強さを堪能できます。


枚聞神社






薩摩一の宮として知られる枚聞神社は、交通や航海の安全、漁業守護の神として広く信仰されています。
社殿は江戸時代に再建されたもので、朱漆塗りの鮮やかな社殿が印象的でした。向拝には雲龍の彫刻柱が施され、薩摩らしい力強さと華やかさを感じられる美しい建築です。
境内はとても広く、古くからの歴史を感じられる落ち着いた雰囲気があり、とても良い参拝となりました。御朱印もいただくことができ、参拝の記念にもなりました。


神社の由緒



御祭神は天津彦火瓊瓊杵尊、彦火火出見命、豊玉姫命など、皇祖神を祀る古社です。ご利益としては航海安全・漁業守護・交通安全・厄除・開運など、広く信仰されているそうです。古くは琉球や航海に携わる人々からの信仰も篤く、「薩摩の一宮」として地域の中心的な崇敬を集めてきました。


宝物


国指定重要文化財「松梅蒔絵櫛笥」をはじめ、多くの宝物が所蔵されており、日本最古とされる大酒甕も保存されています。宝物殿では古文書や神楽面、装束なども展示され、神社の長い歴史を垣間見ることができました。


御例祭


毎年10月15日に御例祭が斎行され、多くの参拝者で賑わうとのことです。古くは旧暦9月9日に行われていた祭りが現在の日程に変わったもので、地域の大切な行事として今も受け継がれています。
いただいた御朱印は、デザインもとてもシンプルで美しく指宿を訪れた旅の記録として、大切な思い出になりました。


二月田温泉 殿様湯




二月田温泉「殿様湯」は、薩摩藩第27代藩主・島津斉興によって創られた別荘跡に由来する歴史ある温泉です。斉興公は、この湯にさまざまな病に効く特別な効能があることを喜び、天保10年(1839年)に湯殿を整え、もともと湯の里にあった長井温泉行館を現在の場所へ移しました。当時は十棟を超える建物や趣向を凝らした湯殿が並び、代々の薩摩藩主の行館として利用され、「殿様湯」と呼ばれていました。その後も斉彬公、忠義公、久光公らがしばしば訪れ、指宿の美しい景観とともにこの湯を愛したと伝えられる由緒深い場所です。


近代の歩みと文化財としての価値
明治38年(1905年)には今林傳太郎が経営を引き継ぎ、昭和59年(1984年)に老朽化のため一部を残して改築され、現在の姿となりました。また殿様湯跡は隣接する温泉神社・湯権現と共に、指宿の歴史に深い関わりを持つ史跡として、昭和46年(1971年)に指宿市の文化財に指定されています。


現在に受け継がれる伝統と効能
現在の浴槽は当時のものではありませんが、湯船には島津家の「丸に十の字」の家紋が残されており、今も伝統と歴史を感じることができます。殿様湯の泉質はナトリウム―塩化物温泉(低張性・中性・高温泉)で、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、冷え性、疲労回復などに効果があり、飲用では慢性消化器病や慢性便秘に適しています。


藩主を癒してきた由緒ある温泉
約180年前より多くの藩主を癒してきた殿様湯は、熱めのお湯と豊かな効能、そして長い歴史の趣を味わいながら、ゆっくりと楽しむことができる温泉として今も親しまれています。


殿様湯跡
殿様湯跡(市指定文化財・昭和46年3月20日)は、島津氏が元禄年間に揖々浜、寛政年間には長井ノ湯に温泉別館を設けたことに始まり、天保2年(1831年)に第27代藩主島津斉興が別館を二月田へ移したことで現在の位置に定まりました。指宿市での殿様湯の歴史は江戸時代に遡り、最初に2代藩主島津光久の時代に摺ヶ浜温泉へ設置され、その後9代斉宣が長井温泉へ移し、10代斉興が文政11年(1828年)に二月田温泉へ移転した経緯があり、殿様湯は合計2回の移動を行っています。
以後、斉彬ら歴代の藩主が利用する別館として「殿様湯」と呼ばれ、当時は浴場の上に立派な建物が建てられていました。現在も風呂場の敷石や石造りの湯船、英国製と瀬戸製の明治中期の鋼版転写タイルなどが残り、歴史的風格を伝えています。また「足軽以下、是より内に入る可からず」などと刻まれた注意書きや、「殿様専用の温泉」「殿様以外は入ってはならない」と記された石碑も残され、藩主専用の湯治場として厳格な規則が敷かれていたことがうかがえます。


構造の特徴と湯の効能
殿様湯の浴場は現在も湯が湧き続けているため床石を直接見ることはできませんが、清掃時の写真から構造が判明しており、浴槽内には4つの枡が設けられています。①の湧出部から西側②→北側③→④の浴槽へと時計回りに湯が流れる仕組みで、各枡に一定量たまると隣へ移る構造によって湯温が適度に調整されていました。浴槽内側は整然と切石を敷き詰め、外側は不定形の敷石が配置され、東側階段には明治期のタイルが残るなど当時の技術が見られます。飲用の湯には鉄分や塩分が含まれ、胃腸・貧血・糖尿病に効果があるとされ、藩主たちが湯治に利用した理由もうかがえます。このように殿様湯は歴代の薩摩藩主を癒し続けてきた由緒ある温泉であり、その構造的特徴と歴史的背景が現在まで明確に残されています。


湯権現神社




湯権現神社(ゆごんげんじんじゃ)は小名彦命を奉祀し、寛政十二年(1800年)に島津斉宣の命を受け、浜崎家第六代・浜崎左衛門貞真が造営し、享和元年(1801年)六月に落成しました。境内には、天保十二年(1841年)三月吉日と刻まれた、島津藩家老・調所笑左衛門広郷による奉寄進の洗鉢も残されています。


島津斉興による移築
天保二年(1831年)、島津斉興が湯の里にあった長井温泉行館を現在の地に移した際、湯権現神社も同時に移築されました。


近代以降の管理
明治二十八年には殿様湯と同時に今林傳太郎氏が管理を担うこととなり、現在の保存へと受け継がれていきました。


地域に根付く信仰
湯権現神社は、古くから温泉と地域経済の守り神として住民に尊崇されており、現代でも「指宿温泉まつり」の式典が毎年この社前で行われ続けています。