








長沢鼎 本籍・生立ちの地
1852年に鹿児島・下荒田で生まれました。13歳で薩摩藩の英国留学生として渡英し、のちにアメリカへ渡ってカリフォルニアでブドウ園とワイン醸造を手がけ、「ワイン王」と呼ばれるまでになりました。日本人初のアメリカ移民として日米の交流にも尽くしました。晩年は故郷・鹿児島を終生の地と定め、1934年にサンタローザで82歳の生涯を閉じました。
異国の地で努力を重ね成功をおさめた姿は、まさに薩摩人の強い志を感じさせます。


天保山橋
天保山橋は、鹿児島市の甲突川の河口近くに架かる橋で、昭和10年(1935年)に建設され、平成10年(1998年)に現在の橋へ架け替えられました。長さは約112メートルで、旧橋の和風欄干や石灯籠風のデザインが受け継がれ、景観にも配慮されています。周辺は桜の名所として知られ、春には花と川、橋が織りなす美しい風景が楽しめます。穏やかな川の流れとともに、散策や写真撮影にぴったりのスポットです。
参考 : 土木遺産 in 九州:目録(天保山橋)- 土木遺産 in 九州|九州地域づくり協会

「春のよろこび」桑原巨守
「春のよろこび」は、彫刻家・桑原巨守の代表作のひとつです。風になびく衣服と髪、花を捧げ持って空を仰ぐ少女たちの姿を表現した作品で、春の陽光と風を全身で謳歌する躍動感あふれる彫刻です。


「渚」舟越保武
打ち際の小波の中に女性のやさしさと思いやりを表現した作品です。寄せては返す波のような、包み込むような女性の柔らかさが伝わってくるようで、見ているだけで心が穏やかになります😊


乃木静子銅像
乃木静子は1859年(安政6年)、薩摩藩の医師・藤田定之の四女として生まれ、幼名を「お七(お志和)」といいました。20歳のときに後の陸軍大将・乃木希典と結婚し、「静子」と改名します。女学校時代から才色兼備で知られ、「湯地の娘が男ならば」と称賛されるほどの優れた人物でした。質素で勤勉、貞淑な性格で、夫を支え続けました。
日露戦争で二人の息子を失っても、祖国のために尽くせたことを誇りとし、涙を見せずに悲しみを胸に秘めたと伝えられています。乃木希典が偉人と称されるのも、静子の献身的な支えによるところが大きいといわれています。
1912年(大正元年)、明治天皇の崩御に際し、夫とともに殉死しました。1919年に静子の銅像が建てられましたが、太平洋戦争末期に供出され、台座だけが残りました。その後、2012年の没後百年記念行事を機に復元の声が高まり、2016年に新たな銅像が建立されました。


武之橋


武之橋(たけのはし)は、鹿児島市の甲突川にかつて架けられていた石橋で、江戸時代末期に熊本の石工・岩永三五郎が建設した「甲突川五大石橋」の一つです。
流失した武之橋の石を使い、基礎構造の一部を再現したものです。梯子胴木の上に切石を2段積み、その上にアーチ石に合わせて加工した石を載せるという、シンプルながら合理的な構造となっています。


旧五大石橋:武之橋跡地之碑
武之橋は、江戸時代の技術と美しさを象徴する貴重な遺産だったことがわかります。地域の人々がこの橋に寄せる深い愛情と誇りを感じます。
かつて甲突川に架かっていた五大石橋の一つである武之橋は、家老・調所広郷が天保の財政改革の一環として、熊本の石工・岩永三五郎を招いて建設した歴史的な石橋でした。 全長71メートル、5連アーチを持つ当時日本一の長大な石橋で、太い橋脚と堅固な水切石で補強されていたのが特徴です。
しかし1993年の集中豪雨による洪水で武之橋と新上橋が流失し、残る3橋は祇園之洲に移設・復元されました。なお、武之橋だけは磯山下から海路で運んだ石材で造られていました。


「QUARTET」関谷光生
この作品は、鹿児島市中心部を流れる甲突川沿いという身近なロケーションにありながら、アートとしての存在感をしっかり持っています。散策や観光の合間に、川の流れを背景に「四重奏を奏でる」ような彫刻を眺めて、少し静かな時間を過ごすのにぴったりです。


松方正義之像


松方正義(まつかた・まさよし)は、明治から大正にかけて日本の近代財政を築いた政治家であり、薩摩藩出身の元老です。幕末から明治維新にかけては大久保利通や西郷隆盛らとともに活躍し、維新後は地租改正や殖産興業政策に尽力しました。
その後、明治14年(1881年)には大蔵卿として日本銀行を設立し、明治29年(1896年)には「金本位制」を確立するなど、日本経済の基盤づくりに大きな役割を果たしました。さらに首相(総理大臣)や内大臣を歴任し、晩年には元老として国政の安定に寄与しました。
また、彼は誠実を信条とし、「奇策あるに非ず、唯正直あるのみ」という言葉を遺しています。薩摩藩主・島津家の家政改革にも携わり、政治だけでなく地域の発展にも貢献しました。
誠実を信条に国を導いた姿勢には、政治家としての揺るぎない信念と責任感が感じられます。