








脇田公園


宇宿駅出口から徒歩約1分とアクセスも抜群で、東屋・トイレ・水道・ベンチなども整備されている、地域の子どもたちや家族に親しまれている公園です😊


麺屋剛


メニューは基本の「剛麺」をはじめ、自家製の墨を使った「黒玉」、ピリ辛の「赤玉」、とんこつベースの「味噌」など個性豊かなラインナップ。 チャーシューはとろけるほど柔らかく、スープも飲みやすくてとてもおいしい一杯でした🍜
参考 : 麺屋剛

リューダムール



店内はオルゴールが流れる、とても可愛らしくて落ち着く雰囲気のお店です✨ケーキのラインナップも豊富で、誕生日ケーキなどのお祝い用にもぴったりです😊
参考 : リューダムール(@ryudamour) • Instagram写真と動画

西郷武屋敷跡



1873年に遣韓使節をめぐる政争に敗れた西郷隆盛が鹿児島へ帰郷し、暮らした屋敷跡です。自らを「武村の吉」と名乗り農業を営む質素な生活を送りました。
また屋敷内には、大島時代に知りあった書家・川口雪蓬(せっぽう)を同居させ近隣の若者に教育の機会を与えました。
西郷を慕って続々と帰郷する若者たちに担ぎだされます。求められるまま吉野開墾社や私学校を設立しました。
参考 : 西郷武屋敷跡 | 観光スポット | 【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅

アンボワーズ




鹿児島中央駅近くの「アンボワーズ」、とってもおしゃれな雰囲気のお店でした✨ ビルの外観からすでにフランスを感じさせるデザインで、2階に上がるとカフェ空間が広がっています。 次回はぜひケーキを食べてみたいです!


黒豚料理 寿庵 中央駅西口店



鹿児島中央駅西口から徒歩すぐの場所にある黒豚専門店で、六白黒豚を使ったとんかつやしゃぶしゃぶを落ち着いた和空間で味わえる人気店です。肉は甘みと旨みが強く、とんかつは外がサクッと中はピンク色でしっとりジューシーに仕上げられ、しゃぶしゃぶは天然だしが黒豚の味を引き立てます。伊佐米をかまどで炊いたご飯も好評で、全体として丁寧な料理が楽しめます。


蒸氣屋 ケーキ園トレーンベル



鹿児島中央駅西口近くにある薩摩蒸氣屋の洋菓子店で、和菓子で知られる蒸氣屋がケーキや焼き菓子を中心に展開している店舗です。定番の「かすたどん」や「かるかん」などの和菓子に加えて、焼きドーナツやケーキ類が揃い、手土産や日常使いのスイーツとして選びやすいラインナップになっています。
「焼どうなつ」(110円)は、菓々子横丁・ケーキ園トレンベル店・谷山店で焼き立てを販売しています。


お茶の美老園 アミュプラザ鹿児島店



鹿児島中央駅に直結するアミュプラザ鹿児島の地下1階にある老舗のお茶専門店で、アクセスがとても良い立地です。


鹿児島市 観光交流センター






鹿児島市上之園町にある市の観光案内拠点で、鹿児島中央駅から徒歩圏内に位置しています。館内には市内や周辺観光地のパンフレット、多言語対応の観光案内、交通情報などが整い、旅のスタート地点として利用しやすい施設です。


高島鞆之助誕生地



高島鞆之助は弘化元年(1844年)、薩摩藩士の子として高麗町(現・上之園町)に生まれました。陸軍中将・子爵として宮廷侍従武官長・陸軍大臣・枢密顧問官などの要職を歴任し、正二位勲一等を授かりました。明治21年(1888年)には大阪に追手門学院(旧・大阪鎧行社附属小学校)を創設した人物でもあります。


甲突川








甲突川はかつて草牟田川・神月川とも呼ばれ、大久保利通が「甲東」と号したことでも知られる鹿児島市内を流れる川です。川沿いには大久保利通の宅地跡が残され、記念碑が整備されています。


加治屋まちの杜公園



市電「新屋敷」駅から徒歩1分の好アクセスにある加治屋まちの杜公園。広々とした芝生広場では子供たちが元気に遊ぶ姿が見られ、おしゃれなレストランカフェも併設されているので大人もゆっくり過ごせます😊 西郷隆盛・大久保利通など多くの偉人を輩出した加治屋町エリアにあり、歴史散策の休憩スポットとしてもぴったりな公園です✨


歴史ロード 維新ドラマの道







「歴史ロード 維新ドラマの道」は、鹿児島市加治屋町の甲突川左岸にある遊歩道で、幕末から明治維新にかけて活躍した偉人たちの功績を紹介する7つのモニュメントやシンボルゲートが設置されています。
参考 : 歴史ロード”維新ドラマの道” | 観光スポット | 【公式】鹿児島県観光サイト かごしまの旅

東郷平八郎・山本権兵衛と日露戦争


東郷平八郎は、海軍大臣・山本権兵衛に連合艦隊司令官として任命され、旗艦三笠に乗って対馬沖の日本海海戦を指揮し、バルチック艦隊を撃破して日露戦争の勝利を決定づけました。


噫壮烈 法亢盛孝君の碑


石碑は鹿児島市内の甲突川(こうつきがわ)緑地帯付近に設置されており、地域の歴史的記念碑のひとつとして保存されています。


伴彦四郎先生生誕の地


伴彦四郎は江戸時代に活躍した薩摩の琵琶職人です。その作品『木枯(こがらし)』は、表に松竹梅の彫刻が施され、裏には「木枯」の銘と和歌が刻まれた名器で、西南戦争前夜に城山で西郷隆盛らの前で演奏されるという歴史的な場面に登場しました。平成24年(2012年)には松崎の子孫により漆と螺鈿の補修も行われており、現在もその名琵琶は受け継がれています。
参考 : 薩摩琵琶 - Wikipedia

西郷隆盛と西南戦争


西郷隆盛は朝鮮使節派遣をめぐる対立で職を辞し、鹿児島で私学校を設立しました。人々が集まる状況を政府が警戒する中、弾薬搬出をめぐる事件が起き、西郷は政府の意図をただすため挙兵し西南戦争が始まりました。西郷軍は熊本などで官軍と戦いましたが劣勢となり、最終的に西郷は城山で自刃しました。その誠実な生き方は今も多くの人に敬愛されています。


「帽子の像」佐藤忠良
帽子をかぶった健康的で清純な女性の姿を表現しており、多くの人々に広く親しまれています。


大久保利通と岩倉使節団


1871年、明治新政府は不平等条約改正と体制確立のため、欧米の先進制度を学ぼうと岩倉使節団を派遣し、大久保利通も副使として参加しました。一方、日本に残った西郷隆盛は、地租改正や学制制定など国内の行政改革を進めました。使節団は欧米諸国を巡って政治・社会・文化を視察し、その先進性を直接確認します。帰国後、大久保は朝鮮使節派遣問題を巡って西郷と対立し、その結果西郷は鹿児島に下野することになりました。


五代友厚とパリ万博
1867年、薩摩藩は徳川幕府とは別に「薩摩太守政府」と名乗り、単独でパリ万博に出展した。五代友厚は万博の開催情報をいち早く得て、フランス側と交渉し出展準備を進めた。薩摩藩は工芸品の展示だけでなく、琉球国の勲章をナポレオン三世に贈るなど、あたかも独立国家のように振る舞い、強い存在感を示した。この独自出展の成功により、薩摩藩は幕府と対等、あるいは独立した政府であるかのように海外で広く認識されるようになった。


佐多愛彦顕彰碑



1871年に鹿児島で生まれた医師で、大阪大学医学部のもとを作った人物である。若くして大阪医学校の教授となり、「全国どこでも同じレベルの医師を育てるべきだ」と主張して医学教育の統一を進めた。その結果、大阪府立医科大学(のちの阪大医学部)が誕生した。
また、日本で初めて結核専門の科「肺癆科」を作り、結核研究のために「竹尾結核研究所」を設立した。これは後に大阪大学の微生物病研究所につながる。1950年に80歳で亡くなり、現在も大阪大学医学部には彼の胸像が建てられている。
参考 : 歴代教授|大阪大学大学院医学系研究科 呼吸器・免疫内科学

薩摩藩英国留学生


1865年、薩摩藩は密航という形で19名の若者を英国へ留学させました。彼らは身元を隠し、グラバーの手配した船で羽島を出発し、香港やシンガポールなどを経てイギリスに到着しました。留学生たちは近代産業技術や西洋文化を学び、帰国後はその知識を生かして各分野で活躍し、明治以降の日本の近代化に大きく貢献しました。


大山巌と薩英戦争


1862年の生麦事件をきっかけに薩摩藩とイギリスの間で薩英戦争が起こりました。大山巌は弁天波止砲台で活躍しました。戦争では双方が大きな被害を受けましたが、薩摩藩はこの戦いを通してイギリスの技術や進んだ文化に注目し、後の薩摩藩留学生派遣につながる国際的な関係の発展へと向かいました。


沖縄軍司令官 牛島満大将生い立ちの碑



牛島満は明治20年(1887年)、薩摩藩士出身の父のもと東京で生まれましたが、すぐに父が急逝したため母に連れられて鹿児島に帰郷しました。
幼少より非常に優秀で、第一鹿児島中学校に最年少・10倍の競争倍率を突破して入学。陸軍士官学校では戦術学・教練は常にトップ、示現流の剣道でも頭角を現し、卒業席次2位で恩賜の銀時計を拝受しました。
参考 : 牛島満 - Wikipedia

東郷久義歌碑



加治屋町の甲突川沿いに立つ東郷久義歌碑は、鹿児島出身の歌人・東郷久義が詠んだ短歌を刻んだ石碑です。


島津斉彬と集成館事業


島津斉彬は、アヘン戦争で清が敗れたことから欧米列強の脅威を痛感し、薩摩藩の近代化を強く決意しました。その施策の中心として日本初の本格的な近代産業群「集成館」の建設を開始し、反射炉をはじめ造船・大砲・ガラス・紡績・写真技術など多様な産業の育成に取り組みました。これらの事業によって、日本の近代産業の基盤が築かれました。